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「去年(こぞ)の花は咲かず」胆力を養うことが肝要

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今年の正月は一連の行事をすませた後、年末に取材した台湾レポートの執筆と、2008年に放映されたNHKの大河ドラマ『篤姫』のDVDを見直して過ごした。

台湾レポートは今号の特集記事を読んでいただきたいが、久しぶりに感動する取材が続いた。それとともに、久しく忘れていたモノづくりへの想い、そして日本人としての立ち位置を改めて考えさせられた。

政治的にも経済的にも中国(大陸)との関係が深い台湾だが、そこで生きて働く人たちの逞しさ、あるいは台湾の将来を想う気持ちの強さを強く感じた。

中国との関係が深まる中で、台湾として独自の道を歩もうとする意欲を経営者の多くが持っており、台湾人としての誇りとともに、台湾への熱烈な祖国愛を持っていることに驚かされた。板金工場の経営者は創業が1990年代ということもあって40代、50代と若く、アグレッシブなエネルギーを蓄えていた。微妙な国際情勢の中でグローバリズムに敏感で、子どもたちを海外へ留学させ、国際人として活躍できる能力を備えさせている。

グローバル化が進むことで日本の内需はアジア内需へと変わり、一物一価を原則とする仕事が、モノづくり環境が整備されてグローバル人材を輩出する台湾へと流出する可能性が高まっている。日本の板金業界もこうした事実を冷静に考え5年、10年というスパンで、日本を取り巻く環境が変化していることを直視しなければいけない。

そんな印象で台湾レポートを執筆する合間に『篤姫』を改めて見返し、脚本家である田渕久美子さんの歴史観・世界観に基づくのだろうが、明治維新を生きた人たちの逞しさ、変化に対応する洞察力のすばらしさを改めて感じた。特に西郷隆盛や大久保利通、小松帯刀など明治維新を推進した人材を登用・輩出させた薩摩藩の島津斉彬の英明な手腕に改めて感銘を受けた。それとともに、その斉彬の養女となって将軍御台所となった篤姫の胆力に驚かされた。

DVDを見直して改めて書き留めた言葉がある。それは斉彬が病から回復し、見ごろの桜を眺めながら篤姫に語った「去(こ)年(ぞ)の花は咲かず」という台詞。さらには、篤姫が幼少より母から言い聞かされてきた「人には持って生まれた役割がある」「一方聞いて沙汰するな」「迷ったときには心のままに己の道を進む」などの台詞。これは当然、田渕さんの生き方を示しているのだろうが、ドラマの骨となる台詞となっている。

斉彬の洞察力は持って生まれた素養でもあるが、大きかったのは薩摩藩が琉球(沖縄)統治を名目に、鎖国の中で幕府を除き唯一、海外へ開かれた窓口を持っていたことだ。琉球を通して、欧米列強に侵略される清国の情報などを得ていたからこそ、斉彬は英明な判断力を備えることができた。そして、今そこにある危機をリアルに感じることができたからこそ、しがらみにとらわれない人材登用ができたのではないか。

小説家の司馬遼太郎氏は明治維新とそれ以降の日清・日露の戦争を題材に多くの小説を上梓した。「日本の実力を知り、ここが限界という中でギリギリの戦いをしていった明治の人たちの生き方に魅力を感じた」と書かれていた評論を読んだことがある。それほどに江戸末期から明治期の日本人は日本を愛し、日本人の未来を想い、高い志を持って生き抜いていった。

その源が”胆力”。今の日本人には胆力が不足している。「去年の花は咲かず」――同じ木から咲く、花であっても去年と今年では異なっている。同じ花は2度とは咲かない。今そこにある現場・現物・現実から未来へ向かうための想いを持ち、それぞれの役割を自覚し、それを粛々と果たすための胆力を備えることが必要になっていると思う。

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