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世界の「モノづくりの変化」を見続けることを使命に

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早いもので、私がメディアの世界に身を置いて40年の節目を迎える。業界専門紙で工作機械業界を担当するようになって、モノづくりに関わる人たちの目の輝きに魅力を感じた。日々のニュースを追いかける新聞よりも技術と向き合い、製品をつくり出すプロセスをじっくり取材してみたいとの思いで先輩と2人、新聞社を退社して雑誌づくりを始め、2年ほどは資金づくりで苦労を重ねた。ちょうどその頃に流行った歌が、沢田研二の「時の過ぎゆくままに」という歌だった。

「あなたはすっかり疲れてしまい 生きてることさえ嫌だと泣いた 壊れたピアノで思い出の歌 片手で弾いては溜息ついた 時の過ぎゆくままに この身を任せ……」生きづらい男女の切ない様を唄った歌詞だったが、当時は日々の仕事の疲れと重なって、この歌詞とフレーズが心に残った。今でも時々、その歌詞を口ずさみながらキーボードを叩いていることがある。

1976年、米国・シカゴで行われたIMTS(シカゴ国際工作機械見本市)の取材に初めて出かけた。当時はシカゴへの直行便がなく、ロサンゼルスで乗り継いでの飛行だった。西海岸とシカゴで2時間の時差があることや大陸を横断する飛行機の窓から見下ろす広大な”アメリカ大陸”に圧倒された。IMTSが開催されていたミシガン湖畔の見本市会場マコーミックプレイスの広さ、そして会場から見えるミシガン湖に浮かぶヨットやクルーザー、湖畔の飛行場から飛び立つ自家用機――それらを見て、改めて米国の豊かさと大きさに驚きを隠せなかった。それ以来、2年ごとに開催されるIMTSには必ず訪れた。

ところが1980年代に入ると米国は第2次産業が徐々に衰退、金融サービス業が経済を牽引するようになって、工作機械をはじめとした製造業は衰退産業になっていった。シンシナティーミラクロン、カーネイ&トレッカー、ワーナー&スウェージ、ギディングルイス、ディキシー、インガソルなどの名門工作機械メーカーはコングロマリットに買収され、選択と集中というドラスティックな経営で会社を解体され、いつの間にかブランドまでもなくなってしまった。

それに代わって、日本やドイツのメーカーがIMTSのメイン会場に大きなブースで出展するようになり、1980年代の半ば過ぎには「米国の製造業に学ぶものはなくなった」という印象さえ持つに至った。米国製造業が疲弊し、新進の設備などが枯渇してしまった時期でもあった。この頃は日米貿易摩擦によるジャパンバッシングで、自動車・家電の日本製品が米国企業から目の敵にされ、工作機械業界でも1983年にフーダイル社が米国通商代表部(USTR)に日本の業界を提訴するという事件も発生した。

しかし、1990年代に入るとITバブルが起こり、CAD/CAMや生産管理などデジタル化された米国製造業の底力を改めて知り、職人のスキル、経験と勘、記憶に頼ったモノづくりを行っている日本は、IT化・デジタル化でアメリカに立ち遅れる。このままでは日本のモノづくりが大変なことになる、との思いで、デジタル化が進む米国製造業の実態をレポートするためIT化が進んだ西海岸、特にサンフランシスコからサンノゼに至る地域の製造業を取材、「最新アメリカの板金事情」としてレポートした。

バブル崩壊から20年、モノづくりの世界は大きく変化し、改めて米国の強さ、日本のアドバンテージについて考える機会が多くなった。その中で私は、日本人としてのアイデンティティを強く感じるようになっている。

「疲れて、生きていくことさえ嫌だと泣く」のも「溜息をつく」ことも止め、今年は世界のモノづくりの変化をしっかりと見つめていきたい。

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