航空機向けの精密板金部品加工にも取り組む
ベトナムへも進出
株式会社 毛戸製作所(けどせいさくしょ)

但馬より独立の夢を追って
故郷の但馬(たじま)を出て、京都市内の板金工場で営業職として働いていた毛戸勝司社長は「1枚の鉄板から、折り紙のような素晴らしい製品ができる。この業界で40歳までに商売をしたい」という強い希望を持っていた。
その機会を得た1985年、38歳でその夢を実現。自身と妻、その夢に付き合ってくれた有志3名の合計5人で30坪の貸工場で創業し、セットプレス・ベンディングマシン・シャーリング・溶接機をそろえ、板金加工業に着手した。
「当初は『苦しくても3年は頑張ろう』と自分に言い聞かせてやってきました」と、優しげな笑顔と物腰、口調で、いかにも京都の商人(あきんど)といった風格の毛戸社長は、創業当時を振り返る。そして3カ月後には、早々に(株)毛戸製作所として法人化した。
2002年には、事業拡大にともない、名神高速道路・京都南ICより車で15分、京都駅より車で30分の好立地にある2階建の本社工場に移転した。
毛戸勝司社長(左)と毛戸健嗣統括部長(右)
子息の入社
統括部長である子息の毛戸健嗣氏に話を聞いた。
「事業継承者としての意思はかねてから持っていました。そのため機械科のある工業高校へ入り、ラグビー部にも入部しました。高校卒業後は短期大学で経営学と情報学を学びました。そこで大学の教授から『実家は何をしているのか』と聞かれ、『モノづくりです』と答えると、先生からは『世界各国で同じモノがつくれる時代になったら困る業務内容か? 失われた10年、同じモノづくりをやるのでもグローバルな感覚を身につけないとあかんなぁ』と指摘を受け、『今のままでは足りない』と考え、4年制大学への編入を決意し、改めて国際貿易の学科を専攻しました。大学在学中に、友人と人材派遣のビジネスを立ち上げましたが、運転資金が枯渇し、色々な仕事をして資金を稼いだりしていました」。
毛戸統括部長は2002年に入社。最初は、熟練作業者に交じって現場でバリ取り作業から経験し、やがて2次元CAD/CAM AP100を活用して「板金展開」などのプログラム工程の業務も手がけ、経験を積んでいく。
高速道路用料金自動収受機向けの部材
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