特集

Webを活用した企業価値創造の取り組み

「孔あき材料」を通じてお客さまの課題解決に貢献

事業戦略の見直しとともにコーポレートサイトを一新

松陽産業(しょうよう) 株式会社

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画像:建築部材をはじめ、多様な業界のオーダーメイドに対応する板金工程。7台のパンチングマシンが並ぶ建築部材をはじめ、多様な業界のオーダーメイドに対応する板金工程。7台のパンチングマシンが並ぶ

パンチングメタル業界の最大手メーカー

松陽産業㈱はパンチングメタル業界の最大手メーカー。1985年に広島・四国の各工場を集約し、岡山県新見市(旧・阿哲郡哲西町)に岡山工場を新設、パンチングメタルの一貫生産体制を構築した。

その後、岡山工場の設備を増強し、自動車・オートバイ・農業機械などに使われるマフラー用部品の製造を開始。1997年には建築材料の専用製造工場を新設、防音壁に使うパネルなどをパンチングメタルで製造するようになった。2003年にはマフラー用部品の事業拡張のため、群馬工場(群馬県太田市)を開設した。

2008年の売上高は64億2,000万円に達し、創業以来の最高売上達成の中、竹内和彦氏が3代目社長に就任した。

竹内社長は「父が創業し、兄と私が両腕となって事業発展に努力してきました。2代目社長の兄は2008年、安定的な右肩上がりの好業績で引退の花道を飾り、東京で営業をやっていた私が呼び戻されて、急遽3代目社長に就任しました」と振り返る。

ところが社長就任期の2008年9月に米国の投資銀行リーマンブラザーズが破綻し、リーマンショックが発生した。翌年、同社の売上は前期比3/4の49億円に落ち込み、その後も毎年売上が減少。2013年の売上高は37億円と、ピーク比40%減にまで落ち込んだ。

画像:代表取締役の竹内和彦氏代表取締役の竹内和彦氏

ショッピングサイトの立ち上げを計画

減収減益にはなったものの利益は何とか確保していたが、そこで見えたのが同社の収益構造の課題だった。ピーク時は、マフラー用部品を中心とした自動車部品の事業が売上全体の60%を占め、利益率も毎年同程度を維持できていた。しかし、リーマンショック以後の経営数字とコスト分析の結果をみて、竹内社長は一定の加工度の商品群と特定の市場―特に自動車部品(マフラー用部品)のみに大きく依存した分野構成のリスクの高さを痛感した。

そこで竹内社長は、「孔あけといえば松陽産業」と得意先から評価してもらえるように、パンチング加工技術をコアコンピタンスとした新たなビジネスモデルの構築を考えた。

「方向性としては2つ。パンチングメタルの市場を富士山のようなかたちで捉えたときに、孔あけ加工の最高水準・最先端分野としての頂上部分と、営業がカバーできない拡がりをもった裾野部分を攻略したいとイメージしました」。

竹内社長は“裾野”の攻略を目指して、Webを活用してパンチングメタル製品を販売できないかと考え、2010年にパンチングメタルのショッピングサイト立ち上げ計画を女性スタッフ1名とキックオフした。

コンテンツを考え、フレームデザインは外部のWeb制作会社に協力してもらって、ショッピングサイトはほぼ完成した。しかし、公開寸前になって、竹内社長は躊躇した。

「Webサイト自体はできましたが、代金回収の仕組みや権利関係の管理を含めた運用体制の検討が十分ではないことに気づきました。このまま公開すればお客さまにご迷惑をおかけしかねない。そうなれば当社の信用・信頼も失ってしまうと考え、サイトの開示を断念。運用の体制づくりから考え直すことにしました」(竹内社長)。

画像:2014年7月に公開した新コーポレートサイト。「コーポレートサイトの刷新は社内の“人財”育成に大きく貢献する取り組みでした」(竹内社長)2014年7月に公開した新コーポレートサイト。「コーポレートサイトの刷新は社内の“人財”育成に大きく貢献する取り組みでした」(竹内社長)

つづきは本誌2014年10月号でご購読下さい。

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