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「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」

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長年ファンだった往年の名俳優、高倉健さんが亡くなった。奇しくも私の父も昨年の11月13日に天寿を全うしたこともあって、ことさら感慨深いものがありました。

高倉健さんの座右の銘は「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」―比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉氏が贈られたというこの言葉を読み、父の生き方をだぶらせて、日本人の美意識というものを痛感させられました。

私の父は努力家で、退職後は地元にある合唱団に入り、ベートーベンの第九や、モーツァルトのレクイエムを唄い、和歌や漢詩を詠み、2冊の書籍を上梓しました。また、現役時代からバラの栽培や盆栽など、多彩な趣味を持ち、ボランティア活動もしていました。

ともかくこうと決めたことは最後まで貫き通しました。大正生まれらしく、頑固さ、一途さを備えており、子供たちが諌めても車の運転を止めず、亡くなる数日前まで車を運転して、買い物や病院に通っていました。

ある意味、父が歩んできた道も健さんと同様に「精進の道」だったのではないかと想像します。亡くなる2日前には長年務めていた会社の社友会に出席、OBの中で最高齢になったことを知り「自分もそろそろ、別れの時は近かし」と日記に書き残していました。そして亡くなる前日に体調不良を訴えて病院を訪れ、半日後には死の床に伏すこととなりましたが、家族や周りに迷惑をかけることもなく「忍びて悔いなし」と、一生を終えました。

むろん、悔いがなかったといえば嘘で、意識がある間はずうっと、後に残る母のことを気にかけていたようです。しかし、死に顔は安らかで、「悔いはなし」と語りかけているようにも思えました。

自分の父親のことをこのように書くということは厚顔であるとは思いましたが、健さんといい、父といい、その生き方にこそ、日本人の美意識があると思うからこそ、あえて書かせていただきました。しかし、美意識だけでよいのか、という疑問は残ります。

安倍総理は今年10月に予定した消費増税を1年半先送りにして個人消費の落ち込みを抑えるとともに、日本経済の成長戦略を仕切りなおすため衆議院を解散、総選挙に訴えて国民の支持を求めることを決断しました。たしかにデフレからの脱却を進めるためには、やむをえない判断ではあったのでしょうが、もっと打つべき手があるのではないかという想いが残ります。

特に昨年10月からドイツや中国・台湾を訪れ、お客さまと会話する中で、安倍首相には「井の中の蛙」ではなく、大海に出て行く覚悟を持って日本のリーダーとして日本を牽引してもらいたいと強く思いました。ドイツのメルケル首相は「モノづくりドイツ」の覇権を維持するため、オールドイツでモノづくり技術とICT技術を融合させた「Industrie 4.0」の世界標準化を目指すとともに、3Dプリンタの技術開発、中でも金属3Dプリンタでは圧倒的な技術力で世界市場を制覇しています。

それに引き換え日本は、企業任せとなっているのが実態です。企業はそれが当たり前のごとく感じており、「忍びて」自助努力をしています。どうやら日本人には、与えられる試練や苦難に耐え、自助努力で精進することを“善し”として、たとえそれが報われなくても、なお「忍びて終わり悔いなし」と自己満足して終わってしまうことが清廉な生き方だと思っている人が、私自身を含めて多いように思います。自分たちの精進の成果を誇りに思い、それをことさらにアピールし、願わくはそれで世界の覇権を取ろうというような考えには及ばないようです。

しかし、国益が掛かったことだけに、政治家は国のリーダーとして我を強く持ち、変えるべきこと、変えてはいけないこと、守るべきことを見極め、世界に発信する
力を備えてもらいたいものだと思います。

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