特集

Webを活用した企業価値創造の取り組み

「待つ町工場」から「考えて動く町工場」へ

精密板金技術を追求、発信し、未来を切り拓く

海内工業(あまうち) 株式会社

LINEで送る
Pocket

画像:①レーザマシンLC-1212αⅣNTによるレーザ加工レーザマシンLC-1212αⅣNTによるレーザ加工

創業56年――まだまだ続く老舗の挑戦

海内工業㈱は1958年、海内顯治社長の父親が、それまでの勤め先で培ってきた精密板金加工の技術力を頼りに、東京都大田区田園調布で、社員3名の個人企業として設立した。1962年に株式改組。事業拡大により現在地に横浜工場を建築、1985年に鉄筋コンクリート3階建ての工場・事務所を増築、2004年に本社も移転した。翌2005年にはISO14001を取得した。

2014年5月には月面到達飲料カプセルのプロジェクトに参加。6月には東京ビッグサイトで開催された「設計・製造ソリューション展」の出展企業から依頼を受け、展示用の2足歩行ロボットを共同製作。9月にはWebサイト「ロボット板金.com」をオープンした。さらに、WebサイトだけでなFacebookの活用により、新規得意先の獲得だけでなく、ヒトとのつながりを増やし、新規事業への夢をつないでいる。

会社創立からの経緯を取締役兼営業業務部長の海内美和さんに聞いた。

「祖父が独立し、通信機器用の板金加工を始めました。板金といっても当時は手板金加工が中心で、機械といっても手回しやケトバシのプレス、ボール盤、溶接機だけでした。創業時は祖父と、現在の工場長の父親など3人だけでしたが、大手通信機器メーカーから受注する仕事が順調で、徐々に規模も拡大。自分が希望していた道に進みたいと考えていた私の父も、家業を継ぐと決めて入社し、祖父を補佐してきました。祖父の言葉『規模より質』を遵守し、むやみにお客さまを増やすことなく、従来からのお客さまに対して最高の品質で製品をお届けする―そういう精神で一貫して精密板金事業に取り組んできました」。

画像:海内顯治(けんじ)社長(右)と、取締役兼営業業務部長の海内美和さん(左)海内顯治(けんじ)社長(右)と、取締役兼営業業務部長の海内美和さん(左)

金融業界から板金業界へ

美和取締役が同社に入社するまでの経緯を聞いた。

「上に2人の兄がいて、私は末っ子です。兄たちはそれぞれ好きな道に進みました。私も中学生の頃から短期留学で海外へ出かけ、高校生の頃にはカナダの高校へ留学して、日本の大学に進んでからも米国の大学に留学しました。資金は祖父の援助と、奨学金。ともかく自己責任でやりたいことをやらせてもらい、自主独立を目指しました。家業を継ぐときに夢を諦めた父は『子どもたちには自分と同じような忸怩たる思いをさせたくない』と後押ししてくれたので、『誰か、家業を継いで』と無理強いをすることはありませんでした」。

「大学卒業後は、ファンドマネージャーを目指して資産運用会社で働き始めました。顧客対応業務に従事した後、運用調査部に異動となり、念願のアナリストの見習いとして、投資対象の企業や事業の将来性に関する調査・分析をする日々でした。いろいろな企業の経営者に会ってヒアリングをし、レポートをまとめました。勤め先で所属していたチームが主に担当していたのは、新興市場でニッチトップの事業を営んでいる会社様。それらの経営者の方にお目にかかり事業計画をヒアリングすることでした。差別化できる技術があって、収益性の高い製品をもち、事業計画書も素晴らしく整っていて、とても勉強になりました」。

画像:9月1日にオープンした「ロボット板金.com」。Webサイトを新たに立ち上げ、ロボット部品の加工サービスなどを提案する(左)/大学の研究者と共同製作した展示用の2 足歩行ロボット(右)9月1日にオープンした「ロボット板金.com」。Webサイトを新たに立ち上げ、ロボット部品の加工サービスなどを提案する(左)/大学の研究者と共同製作した展示用の2 足歩行ロボット(右)

つづきは本誌2014年10月号でご購読下さい。

LINEで送る
Pocket

タグ

  • タグはまだ登録されていません。

関連記事

  • 関連記事はありません。

特集記事一覧はこちらから