特集

好調な工作機械需要に対応する板金カバーのモノづくり

工作機械メーカーの事業所内板金工場進出を決断

大型スプラッシュガード製作にも対応

有限会社 和田製作所

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画像:マシニングセンタのスプラッシュガード/3次元ソリッド板金CAD SheetWorksで作成したスプラッシュガードの3次元モデル/曲げ加工データ作成全自動CAM Dr.ABE_Bendで曲げ加工の可否を判断左:マシニングセンタのスプラッシュガード/右上:3次元ソリッド板金CAD SheetWorksで作成したスプラッシュガードの3次元モデル/右下:曲げ加工データ作成全自動CAM Dr.ABE_Bendで曲げ加工の可否を判断

お客さまの成長と発展のために全力を尽くす

1973年、先代が30代で相模原市内の借地にプレハブの工場を建て、農機具などを手板金で製作する和田製作所を創業。創業当初は社長を含め3名という規模だったが「常に製造技術を磨き、お客さまに価値ある製品・部品をお届けする」という理念のもと事業に取り組み、徐々に業容が拡がっていった。

1985年、(有)和田製作所として法人化、最新設備を導入して正確なモノづくりと工期短縮を進めていった。やがて牧野フライス製作所(以下、牧野フライス)から工作機械カバーのブラケット類の仕事を受託するようになった。

1996年には先代の出身地である山形県に山形工場を開設、板金加工と機械加工の受託を始めるようになった。山形工場は2007年に新工場を建設移転、本社工場から移設した設備に加え、新たに導入したレーザマシンなどを使った板金加工を開始した。

相模原市内の本社工場は、パンチ・レーザ複合マシンAPELIO、レーザマシンFOなどを導入。2005年には2次元CAD/CAM AP100、曲げ加工データ作成全自動CAM Dr.ABE_Bendとともにネットワーク対応のベンディングマシンFBDⅢ-1025NTを導入した。

5年前に先代が亡くなり、2代目社長に就任した和田三恵社長は「母が21年前に亡くなったので、私も工場の総務・経理を担当して先代の父を手助けしていました。先代は機械好きで、アマダから新しい機械が出たと聞くと、すぐに伊勢原の展示会場へ行って毎年のように設備を入れていました。私も子どもの頃から何度も連れて行かれました。『お客さまの成長と発展のために全力を尽くす』を第一に、多様なニーズにお応えしようと、創意工夫で品質管理を高めていました。その結果、社員は展開・プログラム~抜きと、何でもできる多能工に育っていきました。おかげさまで現在、様々な面で私のサポートをしてくれる細川弘一副社長や山口忠久取締役工場長、松田吉正取締役生産管理部長、小野塚利彦取締役山形工場工場長など、優秀な人材が育ちました」と、同社が目指してきた経営理念を語ってくれた。

和田三恵社長(左)、長細川弘一副社長(右)和田三恵社長(左)、長細川弘一副社長(右)

仕事の9割が牧野フライスの機械カバー

2000年に入ると、牧野フライスから受注する工作機械カバーが売上の95%に達する年もあり主力得意先となった。その頃から牧野フライスでは、金型加工用のフライス盤から立形・横形のマシニングセンタ、放電加工機、ワイヤ放電加工機と生産機種が増えるとともに、航空機向けなどの精密部品を加工する高精度加工機市場を拡大。さらに、海外市場の拡大と地産地消に対応して、シンガポール、中国、インドなどの新興市場に現地工場を開設していった。また、市場の変化に対応するため、開発から製造までの工期短縮、手戻りのない製造を目指すため、サプライヤーも巻き込んで、3次元CAD SolidWorksを活用したコンカレントエンジニアリングに取り組むようになった。

画像:パンチ・レーザ複合マシンACIES-2515T(2連棚付き)パンチ・レーザ複合マシンACIES-2515T(2連棚付き)

つづきは本誌2014年11月号でご購読下さい。

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