特集2

事例紹介 ― 設備力強化で差別化を図る板金企業

ファイバーレーザ導入3カ月 ― 生産性が2倍に向上

「小さくてもゴム毬のように弾む会社」になる

株式会社 酒井製作所

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画像:大活躍のファイバーレーザマシンFOL-3015AJ+LST-3015FOL大活躍のファイバーレーザマシンFOL-3015AJ+LST-3015FOL

製缶板金溶接で創業し、板金加工も取り込む

同社の成り立ちから酒井悟社長に聞いた。

創業者であり、酒井社長の父親である酒井正志会長は、四国・愛媛県内から大阪市平野区の製缶工場に就職。10年が過ぎた年に勤め先の仕事の受け取りで独立。平野区にあった知り合いの工場の一角を借り、製缶溶接を主とする工場を個人創業した。丁寧な仕事ぶり、誠実な人柄が評価され、少しずつ仕事が拡張していき、アマダのユニパンチD-700などのマシンも導入して、溶接の前工程の板金加工から手がけるようになっていった。

創業10年後に八尾市内の貸工場を借り、事業を拡大。1986年12月には(株)酒井製作所として法人化、名実ともに社会から認められる企業になった。当初は広いと感じた80坪の工場もVIPROS-367やベンディングマシンなどの設備が入りきらずに、第2工場を用意した。しかし、2カ所に分かれての横持ち生産は効率が悪く、1996年に現住所に200坪の土地を購入し、本社工場を建設して工場を1カ所にまとめた。

お話を聞いた酒井悟社長は酒井会長の長男、1歳下の次男である酒井泰治(たいじ)専務とともに、大車輪で会社を牽引している。

画像:酒井悟社長(左)とFOL-AJの前で相好を崩す酒井泰治専務(右)酒井悟社長(左)とFOL-AJの前で相好を崩す酒井泰治専務(右)

「お客さまに喜んでもらえるかどうか」を第一に猛特訓の日々

酒井悟社長は「私は高校野球に青春を懸け、山口県内の大学に進み、大学野球で全国制覇を果たしました。4年生の冬休みに、残りの大学生活、うんと遊ぼう、というつもりで帰省してきましたが、会社の繁忙さを目のあたりにして、その翌日から社員として溶接技能の特訓を受け始めました。先輩から『見とけよ~』、次には『やってみぃ』と言われる。なかなか思うようにできず泣き言をいうと、私よりも3年早く入社していた弟から『最初はできないのは当然のこと。ゆったりと構えて』と励まされました」。

「そうしてようやく社内の厳しい検査の目をパスするようになっていきました。今にして思えば先輩たちの厳しさの根拠は『製品を納品するお客さまに喜んでもらえるかどうか』という一点に尽きます。お客さまに一番良いモノをお届けしたい、という信念があったのです」と、入社当時を振り返る。

画像:鉄道車両用の下部フサギ板。FOL-AJで切断後、パンチングマシンでビード加工を行っている鉄道車両用の下部フサギ板。FOL-AJで切断後、パンチングマシンでビード加工を行っている

つづきは本誌2014年2月号でご購読下さい。

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