特集

日本に学び躍進する台湾板金業界

ファイバーレーザマシンFLC-AJの台湾1号機ユーザー

日系ゲーム機メーカーからの仕事が売上の70%、同分野での守秘義務対応を徹底

微勤電機 股份有限公司(Wee Chin Electric Machinery Inc.)

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画像:同社で製作するアミューズメントマシンのショールーム。受注の半数は日系のゲーム機メーカー7社からの仕事となる同社で製作するアミューズメントマシンのショールーム。受注の半数は日系のゲーム機メーカー7社からの仕事となる

26歳で起業して33年

総経理の楊忠波さんは同社を創業するまで、金型製作を担当する作業者として、高雄市内のプレス工場に勤めていた。26歳になった時、同年輩の知人2名と60万NT$(210万円、1NT$=3.5円換算)の資金で起業した。

楊総経理は「プレス工場で金型工としてプレス型の製作を担当していましたが、より高収入をめざして、知人2人と会社を設立しました。当初は電子機器と椅子などの部材をプレス加工する仕事を受注しました。その頃の台湾は経済成長が著しく、仕事はたくさんありました。自己資金ではボール盤や旋盤など、金型製作に必要な設備しか導入できませんでしたが、一緒に起業した知人の父親が不足する設備を支援してくれたので、プレス加工の仕事ができました」と振り返る。

「ここで資金を蓄え、1986年頃から台湾のゲーム機メーカーからゲーム機のキャビネットの仕事を受注するようになりました。ゲーム機は機種が多く、モデルチェンジの頻度も高いため、金型を製作してプレス加工していたのでは対応できません。それで、板金加工で部材を製作するようになり、高雄市内の板金工場に部材加工の外注を依頼、当社では溶接・組立作業を行いました」。

画像:楊忠波総経理楊忠波総経理

1990年に板金加工を開始

「当時の台湾では、高精度で高生産性な板金機械というと、『価格は高くてもアマダ製が一番』という定評がありました。外注をお願いしていた板金工場にもアマダの設備が入っていました。1990年にアマダ台湾からパンチングマシンPEGA-357、ベンディングマシン2台、シャーリングマシンを導入し、それまで外注していた仕事を内製化しました」。

「当時は100%、台湾メーカーのゲーム機の仕事でした。ところが台湾製ゲーム機の販売が、日本製や、中国広東省・広州市に誕生してきたローカルメーカーのゲーム機と競争するようになって販売が伸び悩み、仕事量が減る傾向になってきました。そこで、1990年代後半から米国・欧州・オーストラリアのギャンブラーマシンメーカーや、日本のゲーム機メーカーに積極的な営業を行いました。その結果、欧州・オーストラリア・日本のメーカーからの受注に成功、海外メーカーの仕事が増え、日本メーカーからのコストダウン要請に対応して、中国・広東省東莞市に東莞微勤電機五金有限公司を設立しました」。

「当時の東莞市には台湾企業を含む外国企業の工場進出が相次いでおり、内陸部からの出稼ぎ労働者の人件費も安く、台湾より低コストで製造できました。この工場では日本のメーカー4社向けにゲーム機用キャビネットを製造するようになりました」と、楊総経理は板金加工を開始してからゲーム機用キャビネットの生産を始めるまでの経緯を語ってくれた。

画像:昨年12月に導入したファイバーレーザマシンFLC-3015AJ(2kW)。同社が台湾1号機ユーザーとなる昨年12月に導入したファイバーレーザマシンFLC-3015AJ(2kW)。同社が台湾1号機ユーザーとなる

つづきは本誌2014年3月号でご購読下さい。

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