特集 コスト・衛生への対応が求められる厨房機器・食品機械

創業12年で関東有数の厨房機器サプライヤーに成長
毎年平均25%で成長――来年は2工場体制で飛躍

ウチダステンレス工業 株式会社



32歳で創業――苦難の連続
代表取締役の内田淑敏氏代表取締役の内田淑敏よしとし
「やっとスタートラインに立った気分です」とウチダステンレス工業(株)代表取締役の内田淑敏氏は語る。内田社長は現在44歳。32歳で創業し、今期で12年目となる。同社は創業以来、年率平均25%増で急成長してきた。
内田社長は大学卒業後、証券会社の営業、大手厨房機器メーカーの営業を経験する中で、モノづくりの魅力に取りつかれ、営業職から製造現場へと転身。板金工場の現場作業者として勤めるかたわら、新人はなかなか触らせてもらえなかったアルゴン溶接機を自費で購入。実家の精密研磨工場の一角に2畳くらいのスペースを借り、独学で溶接の勉強を始めた。「つい夢中になって、やりすぎてしまう性質」(内田社長)で、昼間は板金工場で勤務、夜間は実家の工場で溶接を学ぶという生活を続けているうちに、身体をこわしてしまう。
迷惑をかけないようにと板金工場も退職、それから「ステンレスの加工ができれば仕事はある」(内田社長)と考えて、起業を決意した。
創業資金は、国民生活金融公庫(現在の日本政策金融公庫)浦和支店から融資を受けた。これまで手がけた仕事の資料を持って融資の依頼に行ったところ、窓口担当者から「融資には応じるが、浦和市では過去15年ほど、製造業の創業資金で借り入れを申請された実績はない」と聞かされた。担当者からはさらに「あなたが起業に失敗すれば、後に続く人々に迷惑をかけることになるから、がんばってほしい」と励まされた。内田社長はモノづくりを生業に起業することの厳しさを改めて感じ、その言葉を励みとした。
資金繰りに目処がたち、内田社長は32歳で起業した。埼玉県鳩ヶ谷市に貸し工場を借り、中古のシャーリングやベンディングマシンなどの設備を導入し、前職の板金工場の同僚が退職していたので呼び集めた。集まったのは20歳前後の血気盛んな若者たち3人。「私とは何事につけ言い争いが絶えず、殴り合いの喧嘩寸前まで行くこともたびたびでした」(内田社長)という。
ところが、若手社員の1人が出勤中に交通事故に遭い、亡くなった。社員たちの心はばらばらになり、内田社長もショックを受け、廃業も考えた。ところが、亡くなった社員の葬儀に参列した際、両親から「息子が最後に勤めた会社。がんばってほしい」と励ましの言葉をかけられた。保障も十分できないままに、両親から罵倒されることも覚悟していた内田社長は、その言葉を聞いて改めて事業継続への決意を新たにした。ほどなく散り散りになりかけた社員たちを呼び戻し、「やるしかない」と再起を誓った。

ステンレス中心の建築金物から厨房機器へ
2011年12月に導入したパンチングマシンEM- 2510 NT2011年12月に導入したパンチングマシンEM- 2510 NT
創業当初はステンレス中心の建築金物が中心だった。工務店からレンジフードやキッチンカウンター、サインなどの製作を受注し、シャーリングやサンダー、プレスマシン、TIG溶接機などで対応してきた。2008年には、鳩ヶ谷市の貸し工場から青木工場(川口市青木)へ移転した。その頃、内田社長が以前勤めていた厨房機器メーカーの知り合いから声がかかり、厨房機器の仕事を始めるようになった。2011年5月には、青木工場から現在地(川口市安行)へと移転した。
現在では、売上全体の60%が厨房機器で、残りの40%が建築金物関連。厨房機器の仕事を始めてから5年程度にもかかわらず、関東・東海・東北の大手厨房機器メーカーと取引し、関東で有数の厨房機器の板金サプライヤーに成長した。
取り扱う製品は、シンク・戸棚・キャビネットなどが中心。エンドユーザーは病院・介護施設・社員食堂・ホテル・学校といった公共施設や大型施設が多く、また民間の外食店舗にも多数納入している。最近は川口市の給食センターの厨房設備に直接応札し、シンクや移動台など、かなりのボリュームを受注した。今後はその他の公共事業にも応札していきたい考えだ。
現在の得意先の数は200社前後、このうち毎月定期的に受注するのは50社前後で、1社あたりの売上シェアは5〜6%程度にとどまっている。 ...

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