特集 〜次世代ブランクマシン活用事例〜

「お客さまと社員」に喜んでもらえるモノづくり
ACIES、EML、ベンディングロボットが活躍

株式会社 稲熊製作所



プレス金型の設計・製作からスタート
左より、稲熊恭行常務、稲熊真吉社長、井上光弘営業技術部長左より、稲熊恭行常務、稲熊真吉社長、井上光弘営業技術部長
同社は1967年、プレス金型設計・製作を行う工場として創業し、先代(故人)の強い意志により金型を用いるプレス加工業に進出した。さらに、プレスによる量産加工前の試作対応を、板金加工で行うようになり、溶接組立までをワンストップで対応するようになった。これにより、金型設計・製作、プレス加工、板金加工、溶接組立とモノづくりに必要な各種技術を備え、得意先からの要求に対応することができるようになっていく。
当初は、事務機器部品の仕事を受注しながら、様々な仕事を開拓。建築金物・医療機器・厨房関係のステンレス加工にまで仕事を広げていった。
そのため加工設備の導入に関しては、仕事があるから導入するという受け身の姿勢ではなく、仕事を受注するために意欲的に導入するポジティブなスタンスが目立つ。パンチングマシンやレーザマシンなどは、名古屋地区ではかなり早い時期から導入している。

“先手必勝”で新鋭機を1 番に導入
上浜工場の屋根に設置された太陽光発電システム(パネル枚数192 枚)上浜工場の屋根に設置された太陽光発電システム(パネル枚数192 枚)
稲熊真吉社長は「先代はアマダさんの展示会に訪れた際、『スゴイ機械ができた!』とパンチングマシンをその場で契約するなど、先見の明と行動力には圧倒されました。当時は仕事を選べる状態ではなく、仕事を受注するため、“先手必勝”で新鋭機を導入したのだと思います」と、当時の先代の狙いを振り返る。
稲熊恭行常務は、傍らの兄を見ながら「私たち兄弟は小さい頃から家業を手伝っており、自分たちが事業を継承していく、という想いをずっと持っていました」と語る。
稲熊常務は大学を卒業した1989年春に入社。「私は主に板金部門を担当し、私より3カ月前に入社した現営業技術部長の井上光弘君とともに、レーザマシンやパンチングマシンなどを担当しました」と語っている。稲熊社長は大学卒業後、5年間他業種で仕事を経験し、世間を見てきた。常務より1年遅れて入社した1990年は、ちょうど会社組織が法人化するのと時期が重なる。そして、稲熊社長はプレス、金型、溶接関連を担当するようになった。ほぼ同時期の入社で、同社の推進エンジンとなっている社長・常務・営業技術部長の3名で、スクラムを組む体制ができた。...

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