〜SHEET NOW〜

工程統合マシンC1×2台が、お客さまの希望をかなえる
社員を含め、ユニークな営業手法で顧客拡大中

株式会社 相澤鐵工



創業の章
代表取締役の相澤和志氏代表取締役の相澤和志氏
現社長の父親の家業は建築業。兄弟で建築業を開業しても、限られた仕事を兄弟で争うことになると考え、父親は金属加工業に進出することを決めた。1966年に相澤鐵工を個人創業、自動車の工場で使う搬送用のコンベアを製作するようになった。その後、県内の大手配電盤メーカーから盤筐体の仕事を受注するようになって、板金加工を本格的に手がけるようになっていった。
1973年に法人化して(株)相澤鐵工が誕生。相澤和志社長は1983年、18歳で高校を卒業すると同時に同社へ入社し、10年間、現場でみっちりと加工の基礎を叩き込まれ、モノづくりの面白さを知った。 しかし、筐体板金、それも2次、3次で仕事を請けていたのでは事業は拡大しない。そこで、ほかの仕事を獲得したいと、営業活動に力を注ぎ始めた。先代社長である父親はそうした営業活動には反対していたが、相澤社長は積極的に得意先拡大を狙った。
大手事務機器メーカー向けのコンポーネントを製造する大手部品メーカーや、ドアホーン大手メーカーからの集合住宅向けドアホーンのボックスやケースなど、板金製品の仕事も徐々に増えていった。 金属製ドアホーンは集音性が高いと評判を得て、一時は繁忙となったが、その仕事もやがて素材が樹脂に変わり縮小していった。しかし、地盤である愛知県内の仕事を着実に手がけるとともに、九州から関東にまで営業活動を拡大していくことで得意先を増やしていった。当時は、社員数20名程度の名もない、いち板金工場が商圏を全国に拡大することなどレアケースだった。

たくましく営業活動
同社が独自に考案した構造の製品同社が独自に考案した構造の製品
ときには各種の展示会に訪れ、出展者が配布している製品カタログをもらい、掲載されている製品を独自の工法で製作、出来上がった現物を携えて資材の担当者に会い、新しい工法の提案やコストダウンのアイデアを訴求したりもした。口先だけで「安くできます、早くできます」というだけでなく、実際に現物をつくって訴えるのだから、相手もグッと近づいてくる。そこからやり取りして顧客の要望をカタチにしていく。新製品や設計変更品の場合、様々な業界で仕入れた加工ノウハウと、独自に考案した構造や組立の手法によって、極端な場合には従来コストの半分で製作する提案を行っていった。 最近では相澤社長みずからアイデアを2次元CADで描き、それをDXFデータにして社内で3次元CADを操作できる担当者に転送し、3次元化を行って、提案につなげている。3次元モデルを作成して可視化すると、実物をつくらなくても説明ができる。こうした提案営業が得意先に評価され、いろいろな得意先が毎年選定する「提案大賞」を何度も取っている。 こうした努力が実を結び、今ではプロ用の音響機器や映画製作のロケバスに搭載されるラックやケーブル巻取り装置、ホールの音響を管理する制御機器や通信機器用のボックス・ケース、半導体製造装置に付く制御機器用ボックス、ロボット制御機器用ボックス、理化学用機器の制御盤・操作盤など、変種変量・短納期対応の製品の試作から量産までを一貫して行うようになった。得意先の口座数は50社を超え、そのうち毎月定期的に受注するのは20 〜 30社となっている。 相澤社長は2008年、先代からのバトンを受け継ぎ、2代目社長に就任した。ところが社長就任して3カ月もしないうちにリーマンショックが起こり、景気は一気に減速した。 「これはヤバイ。こんな時に社長就任とはとんでもない」と内心は思ったというが、商圏が広く業種・得意先のバリエーションに富んでいたこともあって、リーマンショックの影響を受けたのは2009年前半のみ。同年の秋口に、受注はリーマンショック前の水準に戻った。その後も山谷はあるものの、業績は順調に拡大、先期は増収増益となり、8月から始まったばかりの今期も前年同期比微増を見込んでいる。...


つづきは本誌2013年9月号でご購読下さい。