〜Sheetmetal World〜
日本の4年制大学を卒業――感覚は日本人 パンチングマシンEMZ-3510NTの前に立つ孫學新董事長
同社を創業した中国での調達先品質や納期の実態を見る中で、「自分が調達先のサプライヤーだったら、日本の得意先の満足度を高めることで、日系企業からもっと仕事が受注できる」と考えるようになり、2000年に独立して金属プレス加工業を創業した。 しかし、プレス加工のような量産品は付加価値が少ない。そこで、多品種少量生産に対応できる板金加工に着目した。2003年にはプレス加工の傍ら、中国ローカルメーカーの板金加工設備を導入し、多品種少量の板金製品の仕事を行うようになっていった。 2002年には日系の大手電機メーカーからコンプレッサー関連の仕事を受注。2005年には日系の大手産業機械メーカーからポンプ、コンプレッサー関連の仕事を受注するようになり、一部サブアッシーしたコンポーネントを日系企業の日本工場へ供給するまでになっていった。 また、日系大手電機メーカーは様々な事業部門を持っており、同社が取引を行う事業部門も、中国への工場進出を果たした。こうして同社は日本工場のみならず、日系の中国工場へも部材・コンポーネントの納入を行うようになっていった。 顧客満足度改善のために日本製設備の導入を決心 ベンディングマシンHDS-1303NT(追従装置付)
日系企業との取引が拡大し、日本国内の工場へ製品を納品する割合が高くなってくると、これまで以上に品質の改善を求められるようになってきた。それまでは中国ローカルメーカーの加工設備を、イニシャルコストが安いからという理由で導入してきた。しかし、得意先の要求品質を満たし、日本のマザー工場へ納品するようになると、日本の同業者――日系サプライヤーとのQ,C,Dを巡る競争にも対応していく必要が生じてきた。「日系サプライヤーのQ,C,Dに対抗するためにはローカルメーカーの設備では戦えない」と判断した孫董事長は、2007年頃から日系メーカーの設備導入を検討するようになっていった。日本製設備の導入を真剣に考え始めたきっかけは、アマダとの出会いだった。2010年にアマダ上海が企画したジャパンツアーに参加し、アマダ・ソリューションセンター(神奈川県伊勢原市)を訪問。パンチングマシン、レーザマシン、ベンディングマシンをつぶさに見てまわった。... つづきは本誌2013年8月号でご購読下さい。 |