特集 〜モノづくりアイランド・九州〜

「ぼーっとしとらんで、ちーった動かんな」が身上
フェア出展は孫の一言から

株式会社 ナダヨシ



今年は春からお祝い続き
金賞のトロフィーと賞状を掲げる植木次義社長(左)と植木剛彦専務(右)金賞のトロフィーと賞状を掲げる植木次義社長(左)と植木剛彦専務(右)
16歳の時に故郷の長崎を出て50年。身ひとつでステンレス・チタン加工技術に秀でた板金工場を立ち上げ32年の月日が流れた。
つい先日(3月23日)には、「福岡で50年」(植木次義社長)の記念日を迎えた。それに前後して、(職)アマダスクール主催の優秀板金製品技能フェアの「高度溶接品の部」で、実物の1/3サイズで製作した「幼稚園用手洗いシンク」が金賞を受賞、一緒にお祝いをしたという。
優秀板金製品技能フェアの受賞企業として同社を訪れるのは今回が2回目。前回は2010年――第22回(2009年度開催)の同フェアの「溶接を主体とする組立品の部」にオールステンレス製の「宝箱」を出展し、見事、金賞と「中央職業能力開発協会会長賞」をダブル受賞した時だった。
応接室に上がる階段には、2005年(第18回)に初めて出展したステンレス製のアジや鯛がしつらえてある。以前は数匹だったが、今では大群をなして泳いでいる風情があった。
「優秀板金製品技能フェアに出展しようと思ったきっかけは孫の一言でした」と植木社長。折り紙で魚を折っている孫に「それが魚かいな」と声をかけたら「それじゃ、ステンレスでつくってみせてよ」と言われ、奮起した。それを優秀板金製品技能フェアに出品すると、いきなり技能賞を獲得した。それからは「魚ができるんやったら、こんなんもできるやろ」と試作依頼が増え、フェアの効果は想像以上。この出展を機に、会社の体質は大きく変わっていった。
それから3年、「受賞を機に全国区で仕事をしたい」という夢にどこまで近づいたのか。

「男の夢はブレない」
「幼稚園用手洗いシンク」の製作に貢献したLC-2012C1NT「幼稚園用手洗いシンク」の製作に貢献したLC-2012C1NT
植木社長以上に上記の言葉がふさわしい人物はいないのではないか、と感じた。16歳で職業訓練校に入り金属加工を学ぶが、恩師の「君は一国一城の主に」という勧めどおりの道を歩み、ステンレス・アルミ・チタンなどの非鉄材料を使った厨房設備機器の仕事に関わって32年。
植木社長は福岡の厨房機器メーカーで技能を蓄積した 後、1981年に34歳で独立した。社名は有明海で活躍した父所有の砂利運搬船「灘吉丸(なだよしまる)」からとり、「灘吉厨房設備有限会社」とし、ステンレス加工では誰にも負けないと自ら鼓舞して仕事を開拓していった。10年後の1991年、現住所に工場を新築し、父への思いと疲弊する有明海を応援する意味も込めて「ナダヨシ」とした。2003年には株式会社として法人化した。...

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