板金論壇
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『Sheetmetal ましん&そふと』編集主幹 石川 紀夫



「失われた20年」は“まやかし”
1991年のバブル崩壊から今日まで、日本経済は低迷を続けてきた。
日経平均株価は、1989年につけた日経平均株価の最高値3万8,915円87銭はもちろん、2万円を超えることもなかった。バブル崩壊後の最高値は、「いざなみ景気」(2002〜07年)の期間中の2006年につけた1万7,225円83銭で、リーマンショック後の2008年10月には最安値となる6,994円90銭をつけた。バブル崩壊を挟み、日経平均株価の最安値と最高値との間では、実に5.5倍もの差ができた。
地価の下落も留まるところを知らず、1,500兆円もの評価損が生じたとの試算もある。株価下落による含み資産の減少と合わせると、膨大な評価損が出たことになる。
そのため1991年のバブル崩壊後から今日までの約20年を指して、エコノミストやマスメディアは「失われた20年」と呼ぶようになった。しかし、このデフレ経済下での20年間を単に「失われた20年」の一言で片付けてしまうことには、いささか抵抗がある。

1985年のプラザ合意がデフレ経済の始まり
バブル崩壊から今日に至るデフレ経済の発端は、1985年のプラザ合意後の急激な円高だった。ドル円レートは1ドル235円から1年後にはほぼ半減し、150円台で取引されるようになった。円高不況への対策――特に日銀の金融政策が、土地や株への過剰な投資環境を生み出し「バブル経済」を招いた。そして、インフレ抑制のために総量規制による過剰流動性の是正が行われ、急激な金融引き締めによる地価の下落が1991年のバブル崩壊につながった。
その後、景気は低迷した。一時的には、インターネットの普及にともなう「ITバブル」や、「小泉構造改革」による郵政民営化をはじめとした規制緩和と「骨太の方針」を歓迎した「いざなみ景気」などで立ち直る兆しを見せたが、抜本的な回復に至ることはなかった。...

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