板金論壇
モノづくりを“家業”と考える日本、“ビジネス”と考える欧米・中国・インド

『Sheetmetal ましん&そふと』編集主幹 石川 紀夫



モノづくりの原点は生活を豊かにして、楽にさせること
日本のモノづくりについて最近思うことがある。日本では5SやQC活動、ZD運動など、ボトムアップ型の改善活動に重きが置かれ、全員参加で取り組むことが至極当たり前と考えられてきた。このことが「思いやりのモノづくり」として、日本が世界に誇る品質で優秀なモノづくりができる要因とも言われている。
もともと、モノづくりは人間の生活を豊かにしたり楽にしたりするための資本財や消費財をつくり出す手段である。むろん人間本来が備えている向上心や創造性や学習能力を否定するものではない。しかし日本のモノづくりの現場では、あまりにも集団主義・全体主義が追及されすぎているということを考えるようになった。
2年ほど前から中国・インド・インドネシアなど、いわゆる新興国の板金業界を歩く中で考えたことがある。
もともとモノづくりは“財”をつくるための手段である以上、お金儲けの手段でもあり、その過程で、人間が楽をしたり便利になったりするために、改良・改善が行われる。それだけにモノづくりがビジネスと深い関わりがあることは紛れもない事実である。だからこそ生産性や品質が要求され、モノづくりの現場で働く作業者のモチベーションが重視される。そして究極的にはお金儲けが効率よくできるビジネスとしてのモノづくりが、必要となっている。
だから、こうした新興諸国では、モノづくり自体を絶対的なものとするのではなく、お金儲けの手段だからこそ、今のモノづくりに固執するより、今よりも儲かる手段やビジネスがあればドンドン、ビジネスの形態を変えていくフレキシビリティがある。そのために作業者の人件費が固定費として経営を圧迫するようになれば、レイオフや解雇も簡単に実施される。そこでは作業者の自発性や創造性、学習能力は考慮されないので、ボトムアップ型のモノづくり改革はほとんど行われていない。作業者は作業者、エンジニアはエンジニア、スーパーバイザー、工場長や管理者というように、職務分掌によってモノづくりの仕組みが構築されていく。
それに反して日本では、終身雇用の考えが根強く、「会社=ムラ社会=運命共同体」という考えが優先されるため、個人より全体を優先する傾向が強い。そのため、モノづくりは使命であり、そこに参加する作業者や技術者の職務を役割と考え、社会貢献の一環と考える傾向がある。だからこそ、モノづくりを通した地域社会への貢献が求められている。個人よりも集団が尊重され、モノづくりにも全員参加が重視され、追及されている。
また、経営者は同族経営者が大半で、自らのビジネスを家業として考える経営者が多い。2代目、3代目と家業を代々継承することが経営者の子として生まれた役割と考える経営者が多い。...

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