〜視点〜

“文武両道”と“温故知新”

第2次安倍内閣が発足して以来、円安・株高が続いている。昨年11月頃に比べ円相場は15%以上下がり、株価は25%以上上昇した。期待値が先行しているものの、3年4カ月続いた民主党政権下の閉塞感がなくなり、経営者もポジティブマインドになり、自社のモノづくりに自信と誇りを取り戻しつつある。日本への"製造回帰"も見られるようになり、製造業を取り巻く環境が変化してきている。しかし工業製品のコモディティ化は続いており、求められるQ,C,Dの水準は従来にも増して厳しくなっている。それだけに設備・技術・品質管理などの企業力アップが求められている。
しかし、製造業(第2次産業)が頑張るだけの日本再生はあり得ない。製造力を支えるソフトやサービスなどとの連携、第3次産業との協調なくして製造業の復活はない。日本では今、国を挙げてコンテンツ産業の振興計画を進めているが、エンターテイメントなコンテンツもさることながら、製造現場の自動化・合理化・省力化につながる環境改善のためのコンテンツ開発も重要である。
そのために忘れてはならないのが、人間が持つ文化・文明――エモーショナルの豊かさである。合理性だけでコンテンツを開発しても、有形無実なものになってしまう。とかくエンジニアは、エモーショナルよりも合理性を追求しがちである。それだけに、エモーショナルな感性を取り込んだコンテンツ開発が必要である。
そのためには、製造業の経営者やエンジニアは、これまで以上に文化・文明に支えられたエモーショナルな感性を育む必要がある。先日お会いした出版業界の大先輩からは、感性を育むために『平家物語』を読むことを勧められた。「祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす 奢れる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし 猛き者も遂には滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ」――平家物語の冒頭の一節である。しかもその先輩は『平家物語』巻第九・十三「忠ただのり度の最期の事」の中に、日本人の神髄があると言われた。
平清盛の異母弟で、熊野出身の忠度は平家一門の中では武勇の誉れ高き武将であるとともに、千載和歌集の選者でもある藤原俊成に師事、和歌の道を究めた。源氏に追われた平家が一の谷へ都落ちした後に、忠度は藤原俊成に永の暇を告げるため京に戻り、自らが詠んだ和歌を託す。千載和歌集にはその時に託された和歌の中から「詠み人知らず」として、忠度の「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」を採り上げている。その忠度は、源義経が率いる源氏の軍勢が、一の谷の合戦で鵯ひよどりごえ越の逆落としで平家を討った折に1人戦場に残り、武蔵国の住人・岡部六弥太忠ただずみ純によって討たれる。互いに名乗りもせずに戦ったが、さぞや名のある武将と忠純が矢を入れる箙えびらを見ると、文が結びつけられている。文を開くと「旅りょしゅくのはな宿花」と題した「行きくれて木の下陰を宿とせば花やこよひの主ならまし」という歌が書かれているのを見つけ、討ち取った武将が薩摩守忠度であることを知る。忠純が、忠度の御霊を弔うため、遺髪を武蔵国に持ち帰り供養した寺が、今も深谷市にあるという。
貴族社会から武家社会へと変化する中で、貴族社会の美意識を忘れずに戦いに臨んだ忠度の潔さを、先輩は日本人の原点と話された。"文武両道"とよく言われるが、今の経営者やエンジニアが忘れてはならないのが、この言葉ではないだろうか。文化・文明を語る一方でコストや精度・納期も語れる、奥の深さが求められている気がする。アベノミクスでポジティブマインドになることは喜ばしいが、こういう時期だからこそ、日本や日本人の原点を究める視点があってもいいように思う。"温故知新"がなければ、日本は3度、4度と同じ道を歩くような気がしてならない。日々忙しい時間を過ごす中にも、文化人として息抜きの時間を持つ大切さを思い知らされた気がした。