最新設備導入で差別化を図る

最新のパンチ・レーザ複合マシンACIES-2512T導入
トータルエンジニアリング企業として発展

パイオニア精工 株式会社



創業時は金型製作に取り組む
代表取締役会長の黒田昭男氏代表取締役会長の黒田昭男氏
豊かな播州平野の中、オフホワイトの外壁に黄緑色で大小のドットが描かれ、ポップな印象のビルが建っている。これが板金工場なのか─期待しながらエントランスをくぐった。
応対していただいた黒田昭男会長は実家が金属加工業。黒田会長も家業を手伝ううちに金型製作やプレス加工など、さまざまな技術を習得し、常務取締役営業部長として活躍した。 その後、家業は実兄の代になり、黒田会長は1990年、45歳の年に独立。1991年3月から夫人と黒田順市社長、黒田豊嗣専務の4人で同社を盛り立てていった。
もともと播州地区には三菱電機、東芝、川崎重工業、ウシオ電機、グローリーといった大手メーカーの本社や工場があり、仕事は多かった。しかし、順送型など高度な金型製造技術を備えた企業が少なく、大半は大阪などの業者に依頼するしかなかった。そこで、同社は姫路で金型加工業としてスタート。その後、プレス加工にも手を広げ、1996年に現在地に本社工場を建設した。

『週刊ダイヤモンド』に取り上げられた超高収益企業
2005年に完成したプレス板金工場に導入されたパンチングマシンEM-2510NT(手前)とパンチ・レーザ複合マシンACIES(奥)2005年に完成したプレス板金工場に導入されたパンチングマシンEM-2510NT(手前)とパンチ・レーザ複合マシンACIES(奥)
1996年当時は家族4人に3人の社員─計7人で年商が6億5,000万円。毎年2億円余りの設備投資を行い、最新鋭設備を導入しながら、黒田会長は休む間もなく働いた。当時は、経済専門誌『週刊ダイヤモンド』が、高収益な中小企業の代表例として同社を取り上げたこともあったという。
ところが時代が移り、量産の仕事が海外へシフトするようになっていった。
「2001年から2009年頃までは液晶テレビのスピーカーカバーを受注し、月産50万〜60万個という量産を手がけたこともありました。しかし、その仕事も中国へ移り、スピーカーカバーも金属製から樹脂製へと変わり、当社への仕事も少なくなっていきました」(黒田会長)。
国内には多品種少量品か小ロット品で、なおかつ高精度加工が必要な製品しか残らなくなってきた。そこで、小ロットに対応できる精密板金加工を積極的に取り込むようになっていき、現在では売上の70%を精密板金が占めるまでになった。...

つづきは本誌2012年11月号でご購読下さい。