〜視点〜

モノづくりを通した日中の架け橋



日中関係が揺らいでいる。1972年9月29日に田中角栄首相と周恩来首相との間で行われた日中共同宣言によって両国の国交は再開された。国交回復40周年記念を祝うべき時期に、尖閣諸島の領有権問題に対する中国政府の対日強硬姿勢と、「反日デモ」が頻発する事態となった。
筆者は「反日デモ」が先鋭化する直前の9月11日まで、北京に滞在して業界関係者との会議に出席していたが、その際には、このような逼迫した事態が起ころうとは予測もしていなかった。お会いする業界関係者からは「中国経済がこれからも発展するには、日本の経済・技術支援が欠かせない」という話をいく度か聞かされた。また、中国の業界関係者の集まりで日本の板金業界の発展過程に関する講演を行ったが、その講演に関しても、何人もの業界人から意見をいただいた。
筆者は、戦後日本の経済発展をGDP成長率を基準に3段階に分け、GDP成長率が平均9.1%になった「高度成長期」(1957〜73年)、4.2%になった「安定期」(1974〜90年)、そしてバブル崩壊から「失われた20年」へ――GDP成長率が平均0.8%に留まるにいたった日本経済の発展過程を紹介した。日本の高度成長期は、まさに現代中国を彷彿とさせるものがあり、日本経済の発展過程を中国経済の未来に当てはめて考えると、これからの中国経済も安定期から低成長期へと変化する可能性があることを何人かの聴講者は感じたようだ。
さらに人口動態に関して、日本は50年後の2060年には人口が32.3%減少し、総人口は約8,674万人に、15歳から64歳までの生産年齢人口は44.1%も減少して約4,418万人になると紹介した。その減少カーブを20年ずらして中国の人口動態の変化に合わせて見ると、中国が20年遅れで日本と同じ人口動態になる可能性が高いことを説明し、中国の板金業界も今から少子高齢化への対応を考えていかなければ国際競争力が低下すると強調した。この発表データに関してはその後も、資料を送ってほしいという問合せがきている。
さらに親しい製造業界の団体首脳は「中国の製造業は産業構造の変化への対応と、製造技術のレベルアップという課題に直面しているので、最先端の製造技術と設備を導入しなければならない。それには日本の支援が必要だ」と、日本への期待を述べていた。
1972年の国交回復以降、日本は民間企業を中心に、日本が中国で行ってきた過去の行為への贖罪の意味も込め、ヒト・モノ・カネを投入し、中国製造業の発展と成長に大きく貢献してきた。そうした経緯を知っている世代は、これからも日中が手を取り合って相互に発展していくことを期待している。この世代の多くは、1960年代の文化大革命で都市部から農村部へ追いやられ、農業に従事させられて苦労した両親の姿を目のあたりにしてきた世代。それだけに現在の中国経済の発展を喜ぶとともに、これからも持続した発展を続けるためには日本の技術力――とりわけモノづくり面での貢献を期待している。しかし、「反日デモ」に参加している若い世代は1人っ子政策によって、苦労知らずで育ってきた現実派世代。こうした世代が40年間にわたって築き上げてきた日中の架け橋を壊してしまう愚行は、中国にとっても決して国益にはならないと考える。
両国には冷静な対応が求められる。日本は、この40年間にわたり行ってきた中国へのさまざまな協力をきちんと中国国民に説明するとともに、相互の発展を目指すための民間レベルでの協力関係の強化が求められている。