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日光国立公園を仰ぎ見る 代表取締役の小泉寛氏
日光国立公園は、群馬・栃木・福島の3県にまたがる那須火山帯に属する山岳地。その玄関口にあたる地域に、(株)小泉工業はある。日光の社寺はユネスコ世界遺産に登録され、「日光杉並木」は日光街道、日光例幣使街道、会津西街道の3街道につながる杉の並木道のことで、全国で唯一の特別史跡および特別天然記念物の指定を受けている。修学旅行生のバスが連なる後に続いて、この杉並木の間を通り、同社に伺った。「長男の責任」を自覚して帰郷 工程統合マシン LC-2012C1NTを導入したことで、バリレス加工やタップ・成形加工がワンクランプで可能となり、工数削減効果が得られた
代表取締役社長の小泉寛氏は、栃木県今市市内の高校を卒業後、川崎市内の塗装会社へ就職。そこで、塗装に関する様々な技法とともに各種法令や遵守事項などを学んだ。25歳の時、小泉家の長男である小泉社長は、親の傍にいることが最大の親孝行と考え、郷里へUターンした。 腕におぼえがあるのは塗装全般だった。帰郷後は、県内下都賀郡石橋町に小泉塗装工業所を創設し、知人などから塗装の仕事を受託していった。さいわい、下都賀郡には工業団地「おもちゃのまち」があり、その中の大手メーカーからダイキャスト製のミニカーの塗装の仕事を受注するようになった。 当時、男児の間では1人で十数台集めるほど流行り、友達とコレクションを競ったりするあの“ミニカー”だ。 業績は右肩上がりで伸び、1979年に有限会社として法人化。1981年には32歳で現住所(当時は今市市)の土地を購入し、工場を建て、本社事務所と工場を移転した。 1984年には自動前処理装置および自動静電塗装ラインを設置し、仕事はさらに拡大していったため将来を見越して、1985年に地続きの土地を取得した。1987年には、浸透式前処理槽(L6m×W1.5m×H1.5m)装置を導入、地域になくてはならない塗装加工の第一人者として地歩を固めていった。... つづきは本誌2012年11月号でご購読下さい。 |