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事業発展の“原動力”は3台のレーザマシン
 “ 板金”と“精密製缶”に対応できることで、建築金物やプラント関連など多方面から受注

株式会社アラキ



幅広い業種に対応したサプライヤー
表取締役の荒木強氏表取締役の荒木強氏
(株)アラキは、主に数社の鋼材業者から建築金物・設機械・造船関連・一般製缶など様々な分野の仕事を受注し、切断・曲げ・溶接などの板金加工と製缶加工に対応している。特にレーザによる切断加工の比重が高く、板厚2.3〜20oの鋼板をFO-MURI3015をはじめとした3台のレーザマシンで加工している。
1990年、当時29歳だった荒木強社長は、鉄道車両メーカーに社外工として勤務していた伯父から誘いを受け、同工場内で請負業として個人創業した。1993年には重機械メーカーに勤務していた別の叔父からの誘いで、現工場(加古郡稲美町)の空きスペースを借り鉄工業をスタートした。
「創業当初の設備は、アマダ製のバンドソーと数台の溶接機しかありませんでした。形鋼やパイプの加工と溶接をメイン業務として、日々、工場のオーナーや関係者に頼んであちこちから仕事をかき集めていきました。しかし当時は、まだ会社としての方向性も見えておらず設備も十分でなかったため、新しい分野の仕事に切り替えるのも難しい状況でした」。

阪神・淡路大震災の復旧作業が転機となり会社が急成長
形鋼・パイプ加工に対応するレーザマシンFO-MU RI 3015+LST-RI 3015 は、同社の得意分野である製缶関形鋼・パイプ加工に対応するレーザマシンFO-MU RI 3015+LST-RI 3015 は、同社の得意分野である製缶関連の仕事との相性も良い。形鋼・パイプ加工の比率も高まってきている
創業から5年が経った1995 年の1月17日に阪神・淡路大震災が発生。震災の復旧・復興需要が同社にとっての転機となった。
大震災は、神戸市をはじめ、近畿圏の広域に甚大な被害をもたらした。同社が立地していた兵庫県加古郡でも100戸以上の家屋が全壊するなどの被害があったが、同社の工場は難を逃れ無傷だった。
震災直後は、すぐにライフラインの復旧作業がはじまり、震災の被害を受けておらず、建築金物などの復旧に必要な金属加工品の供給を迅速に行える企業が求められた。製造工場が無傷だった同社は、荒木社長がモットーとする“何にでも対応する”の精神で復興のために名乗りを挙げ、復旧作業に尽力した。
「余震が続く中、神戸駅や長田駅などの復旧作業や、造船用の大型溶断機のうねったレールの修正などを行いました。また、現地での補修工事や建築・インフラ関係の仕事が多かったのですが、状況が状況でしたから基本的にどのような仕事でも引き受けました」。
復旧作業に尽力し様々な仕事を経験したことが、結果的には同社の発展と得意先の増加につながったという。...

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