経済自由化から21年―躍進著しいインド

日本のモノづくりを畏敬するインド
鉄道・建機・農機・受配電盤業界―社会インフラ関連業界に注目

インド――多言語・多民族国家
1 人あたりGDP(名目)推移/ JETRO1 人あたりGDP(名目)推移/ JETRO
第2次世界大戦後間もない1947年に、パキスタンとともにイギリスからの分離独立を果たしたインド共和国(独立当初はインド連邦)。しかし、宗教・言語・カースト制度といった諸条件により、経済発展という点では決して平坦な道のりではなかった。
インドの国土は日本の約8.8倍に相当する約329万km2。総人口は、2011年のインド国勢調査(暫定版)によると12億1,629万人で、中国に次ぐ世界第2位となっている。このうちの81%にあたる8億2,758万人がヒンドゥー教徒。2位のイスラム教徒は、人口比率でみるとわずか13%に過ぎないが、それでも実数では1億3,819万人にのぼる。
また、インドの連邦公用語はヒンディー語、行政上の準公用語は英語だが、そのほかに憲法で定められている指定言語が22種もある。これ以外にも多数の地方言語が話されており、2001年の国勢調査によると、1万人以上が母国語としている言語の種類は100種以上に及ぶ。
また、インドの連邦公用語はヒンディー語、行政上の準公用語は英語だが、そのほかに憲法で定められている指定言語が22種もある。これ以外にも多数の地方言語が話されており、2001年の国勢調査によると、1万人以上が母国語としている言語の種類は100種以上に及ぶ。
さらに、インドにはヒンドゥー教の身分制度である「カースト制度」がある。基本的には、カースト間の移動は認められておらず、カーストは親から子へと受け継がれ、結婚も同じカースト内で行われる。1950年に制定された憲法ではカースト制度の全面禁止がうたわれているが、実態として、カースト制度は今でもインド社会に深く根を下ろしている。
インド独立後の経済発展は、こうした宗教・言語・カースト制度に代表される様々な条件によって、ゆっくりとした歩みとなっていた。

1991年の経済改革から発展
チェンナイから50kmほど離れたスリシティーに工場進出したコベルコ建機チェンナイから50kmほど離れたスリシティーに工場進出したコベルコ建機
転機が訪れたのは1991年。同年、第12代首相に就任したナラシマ・ラオ首相は、外国資本・技術の導入などの経済改革を一気に推し進めた。これによりインド経済の自由化が急速に進展し、今日のような世界有数のIT大国へと発展する道が開けた。
日本の戦後の経済発展のスタートが終戦の年である1945年であったとすれば、インドの経済発展のスタートは、ナラシマ・ラオ首相が経済自由化を促進した1991年といえる。仮にインドの発展の歴史を日本の発展過程に置き換えると、今のインドは日本の終戦年である1945年に21年を加えた1966年当時に匹敵すると考えたほうが、発展過程をよく理解できる。
現在のインドは、空港などのインフラは整備されたものの、空港まで行く道路は未舗装や工事中の箇所が随所にあり、いたるところで渋滞が生じている。下水道整備も進んでいないため、モンスーンの季節になると道路に水が溢れ出し、すぐに川のような状態になる。
1966年の日本は高度成長期で、新幹線や高速道路が建設され、いたることころで工事が行われ、大都市の道路では渋滞が発生していた。それと同じような現象が、インドのいたるところで起こっている。...

つづきは本誌2012年9月号でご購読下さい。