デザインカバーの需要が拡大する工作機械業界

トータルコストの削減に心を砕き、 大手工作機械メーカーの信頼を獲得
転機をもたらした2台のレーザマシン

沖壱産業 株式会社



品質は会社の“命”、納期は“信用”、コストは“実力”
代表取締役社長の池田恭平氏代表取締役の知念将昭(のぶあき)
「品質は会社の“命”、納期は“信用”、コストは“実力”私が普段から社員に話していることです。品質・納期はお客さまの要求を満たしているのが大前提。受注コストは、安くしないと受注できないのか、高くてもお客さまにそれだけの価値を認めていただけるのか--すなわち会社の“実力”を如実に反映します」と代表取締役の知念将昭(のぶあき)氏は語っている。
知念社長の父親であり、同社の創業者である現会長の知念博史氏は沖縄の出身。「沖壱」という社名には「沖縄から出てきて一番を目指す」という思いが込められているという。知念会長は沖縄を出てから、鋳物加工、板金加工、トラックの運転手などの仕事をこなしたのち、愛知県小牧市に居を定め、バブル崩壊の前年に沖壱産業(株)を設立した。
設立直後は道路表示板や制御盤などの溶接作業を請け負っていたが、1999年のレーザマシンの導入をきっかけに板金加工業へとシフト。現在は板金サプライヤーとして、工作機械カバー関連の板金加工とサブアッシー、特殊車両や段ボール切断機などの板金部材製作を手がけている。

27歳の若さで社長交代
ブランク工程。左手前はリーマンショック後の低迷期に仕事を呼んだレーザマシンLC-3015F1NT。右奥にはEM-2510NTと曲げ工程がみえるブランク工程。左手前はリーマンショック後の低迷期に仕事を呼んだレーザマシンLC-3015F1NT。右奥にはEM-2510NTと曲げ工程がみえる
知念社長は現在34歳。1996年に18歳で入社し、9年後の2005年に27歳の若さで父親の後を継ぎ、社長に就任した。
「会社設立直後にバブルが崩壊し、会社は多忙なわりに業績には結びついていませんでした。苦心している両親の姿をみて、両親の今後の人生と会社 の行く末を見届けたいと思い、事業継承を決意しました」。
「父は根っからの職人気質。社長交 代のときも『今のままではよくない。自 分はこれからも職人として貢献しよう と思うから、後はまかせる』といって会 社を託してくれました。その言葉どお り、会長職に退いて以降、父親が経営 に口を挟むことはなく、生産に支障が 出ないように目を配る補佐役に徹して くれています。おそらく、他社の同族 企業にはない良好な関係を築けている と思います」。...


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