〜SHEET NOW〜

ハードとソフトの融合で若い世代中心の新しい時代へ
国内外の各種展示会へ出展、グローバルな気風を持つ新進気鋭集団

株式会社 神村製作所



兄弟2人で企業を立て直し、基盤をつくる
左から代表取締役の神村道治氏、専務取締役の神村圭氏、製造部長の義永信一郎氏左から代表取締役の神村道治氏、専務取締役の神村圭氏、製造部長の義永信一郎氏
京都府下、緑豊かな宇治茶と源氏物語の里・宇治市。旧・日産車体の広大な跡地に「京都フェニックスパーク」が開設され、2004年に立地内定企業13社が選定されることになり、同社もその一角を早々に決めた。幹線道路わきには植栽された街路樹が整然と緑なし、モダンな社屋のエントランス部分には、今を盛りと咲き誇る花水木が清々しい。応接室には神村道治社長、子息で専務取締役の神村圭氏と、この6月で製造部長に昇格した義永信一郎氏も加わり、話が始まった。
1974年、オイルショックで世の中が大変厳しい経済状況下、神村道治社長と神村邦治副社長は、父親から会社をバトンタッチされた。まだ若い2人が、どのようにして現在の会社の基礎をつくってきたのか、神村社長に聞く。
「1974年に親から引き継いだものの、まだ個人企業でしたから、1981年に私が『代表』になりました。弟と2人、なんとか仕事を確保し、安定した企業にしたいと仕事を探しました。口コミで営業し、板金加工の下請け仕事を受けていましたが、普通のやりかたでは仕事は来ない。もっと独自性を出した営業の仕方はないかと考え、(1)お客さまが困っていらっしゃるコトやモノ、(2)同業者が嫌がるコトやモノ――という特殊な仕事を手がけることで活路を拓いていきました」と話し始める神村社長。
かたわらに座した神村圭氏と義永信一郎氏も興味深げに聞き入っていた。

時代を先取りしたヒット商品で安定路線へ
サイドガードと光線式安全装置がつけられたFMBU-3613NTサイドガードと光線式安全装置がつけられたFMBII-3613NT
「ある音響メーカーから、世に出たての業務用カラオケ機器を受注することができました。出はじめで珍しく、おそらくスナック向けだったと思います。受注したのは3機種で、1機種あたりの月産が100台。まだ、社員数は6〜7名で設備も、今ほど整っておらず、セットプレスやユニセットという金型をプレスのボルスターに取り付け、汎用機械でありながら当時業界で導入が進んでいたタレットパンチプレスで加工するのと同じ生産性で加工していました。初期に導入されていたユニセットでの仕事が7〜8年間続き、その時に工夫して完成させた技術が当社の“核”となり、加工についての独自性を確立させてくれたように思います」。
NC化された設備が出る以前――機械板金加工の黎明期に試行錯誤した。例えば極薄の素材やバネ性のある素材など、加工が難しく、「できれば扱いたくない」と同業者が避ける素材の加工に挑戦して、技術を積み重ねていった。
やがて世の流れは大量生産から多品種・小ロット・短納期・超精密・複合加工などへと移行。高度な技術を駆使した試作品や特殊品を加工する大手メーカーの開発部門とパイプができ、技術提案により試作品から中量生産品までのコストダウンに協力した結果、そのスキルや手法が評価され、京都府内の大手企業の間で「神村は面白いことをやっている」と評判になった。1983年頃には府下にある大手半導体メーカーや、自動車排ガス測定機器・環境用計測機器メーカーなどと直に取引できるようになった。...


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