地域でがんばる板金企業



若さと団結の強さで、新規事業獲得に意欲を燃やす
厨房、建築金物で培ったステンレス加工技術を武器に事業を拡大



ステンレス工機 株式会社



緑萌え花咲く季節
代表取締役の林原美代子氏林原社長以下、全スタッフが意気込みのポーズ
山陰にも遅い春が訪れた。重く垂れ 込める雲が遠のき、澄んだ空気の向こ うに霊峰大山が姿を現した。同社の歴史1976 年に先代社長 の大田利夫氏がステンレス厨器製作所を創業、流しなどのステンレス製品を製造していた。以後の話を、よく手入れされたシンビジュームの花々が咲き、心地よい香りを漂わせ ている応接室で林原美代子社長に伺った。
「農家に嫁ぎ、姑も元気だったので、以前の勤め先で一緒に働いていた大田 社長が独立し、事業が拡大するのにともない『経理・総務を手伝ってもらえないか』と声をかけられ入社しました。 その会社は当時からステンレスを主として流しなどの受注生産をしていまし た。私が入社してから現社名に変更し、1989 年に現本社・工場を新築、移転しました。最新式の板金設備を導入し、2次元CAD を導入してIT 化を進めて きました」と、ここまでは順調なスター トだと思えた。

女の生き方、波乱万丈
2011 年導入し、ステンレスのクリーンカットに貢献するFO-M U 3015NT2011 年導入し、ステンレスのクリーンカットに貢献するFO-M U 3015NT
ステンレス製の流しを製作するステンレス製の流しを製作する
ところが、先代社長が病を発症、「経営全般を見てくれないか」と言われ「社長の真似ごとまで、せんといかんのか」と思うようにもなっていった。そんな頃、メインバンクからも「社長の様子がおかしい、社長交代された方が良いのでは」と進言された。日によって心身に波がある社長をサポートしている間に、子どもを持ちながら家庭を顧みない妻の烙印を押され夫とも離婚。
以来、先代社長の「事業を継続し、会社を残してほしい」との願いを叶えるため日々の経理業務の他に日中の営業、帰社してからの見積り作成、工程管理と多方面の職務をこなしていく。
やがてメインバンクから「林原さんが社長になるのが一番」との後押しがあったものの、社内には常務や工場長など、モノづくりに長けた男性の幹部社員もいて、すんなりとはいかない。
後継社長候補に林原さんの名前が挙がるにつけ、何かと足を引っ張られる苦しい日々が続いた。しかし、最後には相談相手の業界関係者や取引先銀行の後押しで1998年に2代目社長に就任した。ところが常務や工場長以下の社員全員が、ことあるごとに反抗し、孤軍奮闘の時期が2年ほど続いた。その間も仕事は順調で、いよいよ、工場を移転拡張しないことには生産に支障をきたすようになり、2億円の借入れを申し出た。しかし、社長就任時の銀行支店長がすでに交代、新任の支店長は林原社長が女性であるというだけで貸付けに難色を示したため、メインバンクを代え、資金調達を実現させた。こうした経営実績が次第に社員からも評価されるようになり、最後まで抵抗していた常務が会社を去って、林原社長が名実ともに会社の顔となった。...

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