〜食糧安保が後押し──市場拡大が続く農業機械〜

「中小農業機械メーカーも海外展開が不可欠な時代」
自社製品、OEM生産、受託加工、仕入れ・販売―農業機械を軸に4つの柱を確立

オギハラ工業 株式会社



自転車店から農機メーカーへ
代表取締役社長の荻原 潔氏代表取締役社長の荻原 潔氏
オギハラ工業は1926年(大正15年)創業の農業機械・農機具メーカー。自社製品としてクローラー運搬車、リヤカー、一輪車、苗箱洗い機、唐とう箕み機械(収穫した穀物を脱穀した後、籾殻や藁屑を風圧によって選別する機械)、小型脱穀機、除雪用具などをラインナップしている。
同社のルーツは、1926年に現社長の祖父である荻原正平氏が創業した「荻原自転車店」。その後、溶接業を併設し、1953年に渇ャ原商会を設立。手押し一輪車や除雪用具「スノーブル」といった自社製品の生産・販売を手がけるようになる。
1972年に現社長の父である荻原一雄氏が2代目社長に就任してからは、新潟県内の農業機械メーカーから仕事を受注するようになったのを機に、業容を拡大。プレス部門・機械加工部門を新設し、生産能力を増強するとともに、「苗箱コンテナ」「リヤーバケット」「コンバイントレーラー」といった自社製品を次々に開発、農業機械分野へと進出していった。
2006年に社長に就任するまで荻原社長は営業担当として30年、「全農」を初めとする販売店やエンドユーザーである農家をまわって製品の売り込み、フォローアップの活動を精力的に行ってきた。その過程では大手の農業機械メーカーの販売担当者とも顔つなぎができた。2006年に4代目社長に就任する頃には、知り合った販売担当者も社内で昇進、経営幹部にまでのぼり詰める人も出てきた。それが荻原社長の人脈となって「オギハラさんでこんな仕事を手伝ってもらえないか」とOEM生産や、受託生産の話が舞い込むようになっていった。

自社製品、OEM 生産、受託加工、仕入れ・販売の4 部門
パンチングマシンEMZ-3510NT+ASR-48M。同社の自動化・デジタル化の端緒となったパンチングマシンEMZ-3510NT+ASR-48M。同社の自動化・デジタル化の端緒となった
現在の同社の事業は、(1)農業機械関連の自社製品、(2)大手農業機械メーカー向けOEM生産、(3)搬送機器・産業機械などの部材の受託加工、(4)農業機械・農機具に関連する各種商品の仕入れ・販売─の4部門からなる。売上比率でみると、(1)の自社製品が30〜40%、(2)と(4)の農業機械関連が合わせて40〜50%で、(3)の搬送機器・産業機械向け部材の製造が20%程度となっている。
リーマンショック後の2009年は日を追うごとに得意先からの仕事が引き上げられていき、売上は前年比20%減となった。
2006年に代表取締役社長に就任した荻原潔氏は「リーマンショック直後は思い出したくもないほど戦々恐々としていました」と語る。

2011年に角度センサーBi-J付きで導入したHDS-1303NTで曲げ加工を行う杉田係長2011年に角度センサーBi-J付きで導入したHDS-1303NTで曲げ加工を行う杉田係長
「しかし幸運だったのは、自社製品の業績がリーマンショックの影響をほとんど受けなかったこと。売上比率でみると全体の30〜40%ですが、経営環境が最悪の時期でも黒字決算で乗り切れたのは、これまで時間をかけて育ててきた自社製品部門が会社全体の業績を支えてくれたことが大きかったと思います」と語る。
リーマンショックの影響による落ち込みは半年ほどで回復し、2010年度、2011年度は2期連続で増収となった。
荻原社長は「(1)の自社製品の販売は堅調で、(2)のOEM生産は新規得意先を開拓、(3)の搬送機器・工作機械関連の仕事は回復し、(4)の仕入れ商品は地道な営業活動が実を結んでようやく軌道に乗り始めました。すべての部門が上向きで推移しています。これは『農機市場が伸びた結果』の一言では片付けられません。私を含め、社員全員の経営努力、営業努力の賜物だと自負しています。今年はまだ始まったばかりですが、前年比10%程度の成長が期待できる良好なスタートを切れました」と胸を張る。...

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