〜視点〜

弥生3月――大震災・原発事故からの
復活の芽吹きを見届けたい



今年も早くも3月号。3月は弥生。弥生の語源を調べると、弥(いや)は「ますます」「いよいよ」などの意味に使われ、「生(おい)」は「生い茂る」といわれるように草木が芽吹くことを意味する。3月は草木が芽吹きを迎える時期だからこそ、「弥生」と言われるようになったという。
3月11日で東日本大震災から1周年を迎える。想定外の大津波、それにともなう原発事故は、戦後日本が経験することのなかった未曾有の災害であり、社会・経済活動にも大打撃を与えた。震災から1年が経過し、復旧から復興へ――被災地の復興計画も復興庁が発足することで本格化する。いわば東北の新たな芽吹きが始まろうとしている。復興計画の最大のネックはやはり「原発」。セシウムをはじめとした放射性物質の半減期は数十年。汚染地域では除染作業が進められているが、除染で除去された放射性物質を含んだ土壌やがれきの一時保管問題もままならない。また、津波の被災地域では高台への移転によって町を再建する計画が立案されているが、住み慣れた土地を処分する際、土地・不動産の買取りや、代替地・住宅建設にともなう費用負担など、まだ解決されていない問題が山積している。復興計画が容易に進まないのには、こうした原因もある。
震災復興にかかる費用は2030年ころまでに23兆円。今後5年間に必要な予算が19兆円と試算され、すでに3次にわたる2011年度補正予算や2012年度の復興予算などで18兆円の予算の手当てがついており、後は実行計画の具体化だが、それが進まない。政府や自治体の復興計画が固まらなければ工場や住宅の再建などはおぼつかない。全体計画の青写真作成が待たれる。「いよいよ震災復興の芽吹きが始まる」と思いたいところだが、思い通りに進まないのが現実のようだ。震災による被災、原発事故で避難地域に指定された場所でモノづくりを営んできた方々にとっては、一日も早い復興が待たれるところだが、おいそれと「GO」というわけにはいかないようだ。
震災前までは県内外の仕事を含め、幅広く事業を展開してきた板金工場の中で、計画的避難地域に指定された地域内にあった企業では、代替生産を行う工場を新たに見つけ、設備を移設または新規に導入して生産を再開したものの、従来からの得意先の仕事が途絶え、新規に仕事を開拓しなければならないなどの苦労が続く。その一方で避難地域以外の場所にあった板金工場では、従来からの仕事に加え、徐々に出始めた復興需要にも対応し、リーマンショック前の売上ピークを超える仕事を受注、超多忙となっているところもある。悲喜こもごもだ。
そんな中、福島県で操業している工場の経営者の多くが、原発で世界的に有名になってしまった「FUKUSHIMA」を、普通の「福島県」に戻そうと懸命になっている。福島県で製造されたというだけで「放射能に汚染されていないか?」と疑いの目で見られたこともあった。特に欧米をはじめとした海外では汚染されていないという証明書の添付を取引条件に挙げてきたところもあった。最近は沈静化しているものの「FUKUSHIMA」と聞いただけで反応をする人は、海外だけではなく、日本国内でも見受けられた。弥生3月となっていよいよ被災地からの芽吹きを発信しなければならない。小誌でも機会を見つけて、東北地域の企業を取り上げ、震災からの復興、原発事故からの復活を目指す企業の事例を紹介していきたいと考えている。