〜AMADA中国展2011レポート〜

II 日中モノづくりセミナー
産官学のトップランナーが展望する
日中産業界のゆくえ



12月16日から19日まで中国・上海で開催された「AMADA中国展2011」(以下、AIFC 2011)では、17日に「アカデミックセミナー」、18日に「テクニカルセミナー」が開催され、日中の産官学のトップランナー5人が講演。日本経済の発展過程と今後の展望、中国進出で成功するポイント、中国製造業のロードマップとレーザ技術の動向などを披瀝した。

日中製造業の発展プロセスを展望
機械・電機からメカトロニクス、高付加価値なインフォメカトロニクスへ
職業能力開発総合大学校校長 古川勇二 氏
12月17日の学術セミナーのトップバッターとして、職業能力開発総合大学校校長の古川勇二氏が登壇。「日本の製造産業の発展過程」と題し、戦後から現在までの日本の製造業の歴史を概観し、中国製造業の現況と引き比べながら、将来の展望についても語った。
経済成長の3つの段階と為替レートの推移
職業能力開発総合大学校校長の古川勇二氏職業能力開発総合大学校校長の古川勇二氏
日本は、1950年代から1970年代の約20 年間、GDP成長率9.1%で発展してきました(グラフ1)。これはここ10年間の中国の経済成長率とほぼ同じです(第1段階)。しかし1970年代の第1次・第2次オイルショックなどの影響を受けて、GDP成長率が急速に鈍化(第2段階)。1970年から1990年までは4.2%に下がりました。1990年代に入ると、日本の経済は安定しながら停滞、1990年から2010年までのGDP成長率の平均値はわずか0.9%です(第3段階)。このような3つの段階を経て、今日の日本がありますが、現在の中国は第1段階にあたります。日本のかつての高い成長率を支えていたのは、製造業の輸出です。貿易輸出に最も影響するのは為替レートです。日本は1980年代まで、1ドル250円くらいで安定していましたが、1985年のプラザ合意で1ドル150円を割り込み、その後もブラックマンデーなどがあったために、なかなか立ち直れませんでした。
最近はリーマンショック、東日本大震災、欧州債務危機、米国経済の停滞などを受けて、日本円の独歩高が進み、工場の海外移転が進んでいます。そうすると国内の産業が縮小し、雇用が減り、個人消費が落ち込み、国内市場が収縮し、国内産業が縮小するという負のスパイラルに陥ります。ですから中国にとっては、いかにして人民元を一定のレートに保つかが重要です。

機械・電機からメカトロニクス、インフォメカトロニクスへ
グラフ1 日本経済の実質GDP成長率の推移(年度ベース)グラフ1 日本経済の実質GDP成長率の推移(年度ベース)
このような背景のもと、日本の工業製品はどのように発展したのか。
1970年代までは自動車、電機、モーターなどのように、独立した製品が多かった。1980年代になると、機械と電機が一体になった機電一体の「メカトロニクス」、例えばロボットのようなもので、「軽薄短小」と呼ばれます。2000年代に入ると、メカトロニクスに“情報”を採り入れました。これを仮に「インフォメカトロニクス」といいます。2010年代になると、インフォメカトロニクスが「情報ネットワーク」と結ばれます。
1980年代の「軽薄短小」の時代には、色々な部品をマイクロ化し、知能化し、システム化し、ひとつの製品をつくっていきました。代表的な製品は自動車ですが、約1万5,000点の部品で構成される自動車も、重量比のコストをみるとグラムあたり1円、水と同じ価値です。ここまでコストが下がると、中国・韓国には太刀打ちできません。
聴講者は一言も聞き逃すまいと真剣な眼差しを向けていた聴講者は一言も聞き逃すまいと真剣な眼差しを向けていた
それで日本ではもっと付加価値の高い製品をつくろうとしました。それが独立型の「メカトロニクス」で、例えばマイクロマシンや携帯テレビなどです。従来の技術と擦り合わせ、モジュール化、ブラックボックス化を行って、グラムあたり10円を実現しました。...

つづきは本誌2012年2月号でご購読下さい。