〜SHEET NOW〜

逆境をチャンスに換える“センス”
破竹の勢いで業績を拡大した10年 今年度は年商10億円を目指す

株式会社タニテクニカル



デモカーでアマダと出会う
谷口 啓社長(左)と子息の谷口 武専務取締役(右)谷口 啓社長(左)と子息の谷口 武専務取締役(右)
2000年4月に(有)タニテクニカル設立。しかし、同年9月の東海豪雨で工場が浸水、導入したばかりのタレットパンチプレスやベンディングマシンが水に浸かった。「『もう、これで終わりか』と思いましたが、大急ぎでメンテナンスを受け、3週間で復旧。その9月末に大手プレハブメーカーから集合住宅の仕事が大量に入り、自分でも『なんと“運”の良いこと』と感謝しました」と谷口 啓社長は語り始めた。
「アマダと出会うきっかけは2001年に軒先にデモカーが来てくれたこと。そこで出たばかりのパンチングマシンEM-2510NTとFBDV-8025NTを導入しました。以後、マシンはアマダ一筋、担当者とは仕事の相談相手にもなってもらうほどの信頼関係を築きました」と、当時のデモカーがきっかけとなった縁の不思議を語る。
仕事は建材関係(耐蝕金物・水切り・メーターBOXなど)から制御盤のカバー関係へと広がっていった。
「当時は自動車関係も繁忙な時代で、日清紡とアマダの2台で24時間稼働させ、建材関係の納期に対応しました」。
2004年に愛知県三好町(現・みよし市)に工場を移転、パンチングマシンは2台に、ベンディングマシンは5台になっていた。
同社を安定確立させていくのは営業力。三好工場の時から、子息である谷口 武専務を筆頭に、営業チームが精力的に営業開拓し、洗浄装置などの新規分野にも種を蒔いてきた経緯がある。

リーマンショックの後遺症が残る2009年に工場移転
SheetWorksでモデリングした食品機械のホッパー部分SheetWorksでモデリングした食品機械のホッパー部分
2006年頃、仕事のボリュームも増え、工場の移転を考え始めた。2000年の豪雨の経験から、しっかりとした土地を探し、目をつけたのが現在の場所。東名高速豊田ICに近く、豊田南バイパスに面していて、東海3県(同社は主として東海地区から受注)に1時間くらいで製品を届けられる絶好のロケーション。2年ほど、売主と粘り強く交渉し、譲ってもらうことができた。しかし、時代はリーマンショックの影響が濃く、自動車関連の仕事も激減中。「こんな時期に新工場を建設していいものか」と悩んだが、2008年7月には確認申請も降り、意を決して10月に着工、新工場が完成した。
工場新設により業務は活性化し、心配していたリーマンショックの影響も従来比40%減で済んだ。以後、新規の仕事が来る前に新規設備する手法が功を奏し、機械装置メーカーから搬送装置、洗浄機、タンク、ホッパーなどの仕事が舞い込み、社員や派遣社員も段々と増やして対応していった。「VA/VE提案を積極的に行い、お客さまのニーズにあった製品を提供するよう低価格の実現に取り組む」を社是とし、社員教育とともに環境へも配慮する企業として一歩上のステージへと上がって行く。

設備の充実
ベンディングマシンHDS-2204NTは長さ4mまでの長尺曲げに対応(手前)ベンディングマシンHDS-2204NTは長さ4mまでの長尺曲げに対応(手前)
「アマダは、抜きだけではなく、曲げ・溶接まで含めた全工程提案が魅力でした。また、メンテナンスの早さも魅力です」と言うように新工場完成後は堰を切ったようにマシンの設備を厚くしていく。現在は生産管理系にWILL受注・出荷モジュール+M、プログラムに2次元CAD/CAM AP100、3次元ソリッド板金CAD SheetWorks、ブランク加工データ作成全自動CAM Dr.ABE_Blankを設備。工場内には、ブランク工程にパンチ・レーザ複合マシンEML×2台を含め4台、ベンディングマシンはHDS-2204NTをはじめとして9台がラインナップされている。...

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