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ニッチトップの追求同業者との差別化の推進
工程統合マシンLC-2012C1NTの導入で効率性・生産性を大きく改善

有限会社 伊藤精工所



研修・独学でレーザマシンに精通
今年5月、LC-2012C1NTの導入を機に開催された同社の工場見学会の様子。奥には材料棚AMASPACEが見える今年5月、LC-2012C1NTの導入を機に開催された同社の工場見学会の様子。奥には材料棚AMASPACEが見える
1973年に現社長の両親が自宅で鉄工所を始め、創業当時は農機具部品の穴あけ加工の仕事を行う。1979年、現住所に(有)伊藤精工所を設立、一般製缶の仕事へシフト。1981年、立体駐車場向けの部品加工の仕事を手掛け、1984年には半導体製造装置関連にも参入。1987年、現社長が同社へ入社。1989年に最初のレーザマシンを導入し、薄板関連の仕事にシフトしていった。
「父からレーザマシンの操作を勉強に行けと指示されました。研修後は、毎日深夜まで自動プログラミング装置を使ったCAMデータ作成とレーザマシンの操作を実践しながら、自己流で学びました。当時の体験があったからこそ今の自分があることを強く意識しています」(伊藤公一社長)。

リーマンショックにより2009年の売上は50%ダウン
左より代表取締役社長の伊藤公一氏、工場長の東野耕作氏左より代表取締役社長の伊藤公一氏、工場長の東野耕作氏
「バブル期は立体駐車場と半導体製造装置関連の仕事を、大体50%ずつの割合で受注しており安定していました。しかし、バブル崩壊によって立体駐車場の仕事はゼロになり、半導体関連の仕事もシリコンサイクルの影響を受け、受注の山谷が激しくなってきました。その時、1社依存のリスクを身をもって痛感し当社の営業スタイルを変革して、リスクの分散、他業種への参入を行うため、私自身が直接営業開拓にまわりました。目指していたのは、売上比率10%以下のシェアで仕事を受注することです。その結果、地元の新居浜市内の企業を中心に100社以上の得意先を開拓し、毎月定期的に受注する得意先は50〜60社程度にまで拡がっていきました」。
「バブル崩壊のときは、営業努力や他業種へのシフトで乗り越えられたのですが、リーマンショックの影響は大きく、仕事量もなかなか戻らず、苦戦しました。2009年の売上は2008年比で50%減、雇用調整給付金を利用して雇用はなんとか守ることができました。2010年から、除々に上向きになりましたが、現在もピーク比70〜80%程度までしか回復していません。今後、リーマンショック前の水準に戻ることはないとの予測もあり、そのことも念頭に置きながら、経営を行っていきたいと思います」と語る伊藤社長の言葉は重い。

「100円の仕事でも断らない」年間100社以上と取引
仕事の多くは、同社の謳い文句でもある「軽トラックに載る大きさの加工物」。扱う材料は、SUS304が70%と多く、その他に、SPC、アルミ合金、鉛などが30%となっていて、板厚は2〜3mmが多く、12mm程度まで対応する。...

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