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遠隔地からの大型受注で一挙に仕事量回復
貨幣処理機の筐体・機構部品がメイン
誠実対応と適正見積りで得意先の信頼を獲得

有限会社 大信工業



1年半の低迷からピーク比80〜90%まで回復
代表取締役社長の山中一義氏代表取締役社長の山中一義氏
山中一義社長は、近在の板金企業で10年間勤めたのち、大手通信機器メーカー出身の叔父とともに、一国一城の主を夢見て1979年に独立、同社を設立した。
最初の1年くらいは設備を持たず、創業社長である叔父が人脈を活かして、通信機器関連の仕事を受注し、製造は外部のサプライヤーに委託していた。しかし、外注頼みでは納期対応に限界があり、内製化へと舵を切る。設立翌年の1980年には現在地に工場を建設し、本社を移転。それからは、経営と営業を担当する叔父と、製造を担当する山中社長との二人三脚で会社を運営してきた。
山中社長は「内製化を決断してからは、まずRG25、それからシャーリング、コーナーシャー、ユニプレスなどを設備し、それからパンチングマシンARIES-245、ARIES-245II、レーザマシンLC-1212αIII NT、パンチングマシンAC-255NT と、ひとつずつ設備を増強していきました。まさにアマダとともに成長してきた印象です」と、これまでの道のりを振り返る。
2007年に山中社長が事業を引き継いでからも仕事が途切れることはなかった。しかし、2008年秋のリーマンショックで状況は一変。業績はピーク比で約50%減となり、低迷は2010年5月頃まで続き、6月頃にようやく底入れした。山中社長の不断の営業努力が実を結び、現在ではピーク比80〜90%まで回復している。

社長みずから自社便で納品し、遠隔地から受注を獲得
下降式で、1/100ケタ台の精度が求められる精密部品でも安定した加工が可能なHDS-5020NT下降式で、1/100ケタ台の精度が求められる精密部品でも安定した加工が可能なHDS-5020NT
2006年頃、同社は4トントラックを導入し、納品をすべて自社便で行って、営業にも活用しようと計画。この取り組みが今回の回復の下地となった。
「何でも良いから、他社とちがうところを見せなければ、お客さまを振り向かせることはできません。納品先が関西でも、必ず私が運転し、納品してきました。群馬から大阪まで高速道路を使うと採算が合わないため、岐阜・名古屋あたりまではできるだけ一般道を走り、夜明け前に高速道路に乗って、お客さまの始業に合わせて納品します。関西への納品は月2回くらい、段ボール5〜6個でも自社便で運びました。納期にしてもクレームにしても、すべて私が前線に立って対応することで、少しずつお客さまの評価が高まり、受注に結び付くようになりました」(山中社長)。
現在のメインの得意先は、関東と関西に1つずつ生産拠点をもつ貨幣処理機メーカーで、同社売上の80%ちかくを占める。
「おかげさまで、今年4月以降は、当社だけでは対応しきれないくらいの仕事量を受注することができました。次の課題は、これだけの仕事量をどうやってこなしていくかです」(山中社長)。...

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