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創業50年 舶用クレーン関連で成長 内川博之社長
同社の創業は1964年、現社長の祖父が高知市一宮で鉄工所を始めたのがはじまり。やがて四国一円で浚渫船、クレーン船、くい打ち船などを主製品とする(株)SKK(旧・四国建機(株))と取引をするようになり、船でクレーンを操作するキャビンやカウンターバランス、燃料タンク、動力カバーなど、様々な板金製品の加工を受注するようになった。現在、(株)SKKの仕事は一宮鉄工所の売上全体の40〜50%にも及び、景気変動で受注の山谷はあるが、平均すると大型作業船のキャビン関連の製作が年間5〜6台分、小型も年間5〜6台分、受注している。台数は一見少ないようだが、大型船のキャビンとなると高さ3m、奥行き5〜6m、幅も3m程度はあり、1台あたりの重量も2トンを超える。さらに、キャビン内に設置される操作盤や運転席など、様々な艤装品が取り付く。キャビンの裏側にはクレーンを巻き上げる動力エンジンが設置されるため、動力カバーやカウンターバランス、燃料タンクなど様々な板金製品が必要とされ、これを1カ月ほどの納期内に完成させなければならない。 工場での加工・溶接組立作業を終えると、発注元の工場に搬入して塗装、そして船台への取付・施工まで担当する。海上での作業船のため、塩害を防ぐ塗装品質も求められ、工場内での作業が終了しても大変な作業が続く。 3代目社長の格 大板の加工では、クレーンで吊り下げながら、なおかつ2人でセットする
同社の業容が拡大するにつれ、受注する製品も大型化。広い工場を求めて現在地へ移転した。祖父の後を父親(現会長)が継ぎ、内川博之氏が3代目の社長に就任した。「私はもう、退役しました。しかし、健康のためにこうして邪魔にならない程度に会社に来ています」と柔和な笑顔を見せる内川会長はシャーリングでスケッチ材を切断していた。その会長とともに会社を盛り上げてきた川野常務などに後押ししてもらいながら、6年前に3代目社長に就いたのが内川博之社長。 「私は祖父や父が働いている姿を見て育ちました。父からは『会社は継がんでいい』と言われていたので、大阪の専門学校に進み、大手設計事務所で働き始めました。そうすると父親から『忙しいから帰ってきて、手伝って』と“帰れコール”があり、帰郷しました。でも、話が違うんですよね。電話では『給料も30万円くらい払うから』という話だったのに、工場に出ると何もできないから、ずい分と下げられました。でも仕方ありませんよね、本当に何もできませんでしたから」と苦笑するが、それから約10年、溶接から切断・曲げと一連の技術を身に付けていった。 得意先数200社超の管理 SKK一本だった受注も、最近はジョブショップ的な仕事が増えた。得意先は200社を超え、業種も幅広い。また、最近はステンレス材を使った精密板金関連の仕事もあり、板厚0.1mmの薄板から12mmの厚板まで、幅広く対応する。 「小物から重量物までを一緒に製造するとなると大変なので、精密板金加工と製缶板金加工とで設備を分けています。18年くらい前、厚板切断用に高知県では1号機となったレーザマシンを祖父が導入しました。どこかの展示会で見てきたのか、訳も分からずに『これは凄い』といって導入したようです。ただ、導入したものの、初めてなのでプログラムの組み方も扱い方も分からず、使える人を探して来てもらったようです」。... つづきは本誌2011年4月号でご購読下さい。 |