〜視点〜

「失われた20年」からの脱却を目指す中・長期ビジョンの策定




2011年も明けてすでに2カ月が経過した。年初に開かれた各業界の賀詞交歓会で業界関係者の話を聞くと、リーマンショックによる経済危機もエマージング市場―とりわけ中国などの経済規模の拡大によって立ち直り、ようやく長いトンネルを抜け出ようとしている。しかしながら、1991年のバブル崩壊からの「失われた20年」によって、日本の将来には依然として確かな未来が見えていない。
正月休みに読んだ本の中に、次のような記述があった。「2011年から100年前にあたる1911年に、中国では辛亥革命によって清朝による立憲君主制が崩壊し、共和制国家である中華民国が誕生した。50年前の1961年にはソ連がガガーリン少佐を乗せた有人宇宙船ボストーク1号の打ち上げに成功、『空はとても暗かったが、地球は青かった』という名文句が生まれた。そして20年前の1991年、ソ連邦が崩壊し東西冷戦構造が大きく変化―そして、日本ではバブル経済が崩壊した。10年前の2001年には米国で同時多発テロが勃発し以後『テロとの戦い』が始まった。このような経緯を見てくると、 下一桁が1で始まる2011年は、歴史の大きな転回点を迎える節目の年になるかもしれない」。
歴史には必ず節目があり、転機が来る。2011年がその節目に当たるかどうかは分からない。しかしながら、将来に対して確かな羅針盤がない中で「日本丸」という船はどこへ行ってしまうのか。風や潮に任せて漂白するのは「失われた20年」でお終いにしてもらいたいものだ。
2011年こそ日本にとって節目の年になってほしいと思うのは、筆者1人だけではない。ところが現下の政治状況を考えれば、羅針盤どころか舵を取る船頭さえも決まらないままに、さらに漂泊を余儀なくされる状況にある。
経済に目を移せば、政治主導の経済改革や新成長戦略がアテにできない中で、企業は自助努力によってグローバル経済の中で勝ち残りを目指している。とりわけ円高の加速により、製造業の地産地消の流れが加速。生産の海外移転は中小企業のレベルにまで広がっており、国内産業の空洞化は避けられなくなっている。
工業統計調査によれば2009年、従業員4名以上の事業所の数は23万5,238社で、2000年の34万1,421社から31%も減少した。従業員数も2000年の918万人に対して2009年は767万人(17%減)。さらに、工業出荷額は、300.4兆円に対して262.8兆円(13%減)。しかしながら、出荷額の減少以上に事業所数の減少幅が大きかったため、1事業所あたりの 出荷額は26%上昇した。弱肉強食の現実が数字にも表れている。ところがリーマンショックの影響もあるが、付加価値額は110.2兆円が79.5兆円の28%減となっている。
こうした数字を見ると、国内製造業の構造変化が劇的に進んでいることが分かる。変化を受け入れ、自らがそれに対処しない限り、企業は漂泊する波間に沈んでしまう。
各企業も年頭に当たって、トップが社員に所感を語ったことと思う。卯年の干支にちなんで「今年は大きく跳ねよう」と挨拶された経営者の方々も多かったと思う。しかし、ただ跳ねれば良いわけではなく、立ち位置に合わせた跳ね方があるはずである。経営者には企業を取り巻く環境や現在のビジネスの伸びしろを考えた戦略構築が求められている。
今年の新成人は、高度成長もバブル経済の恩恵も受けずに成長した、日本の成長神話を知らない世代である。企業はこれから、こうした世代を採用し、育てていかなければならない。そのためにも中・長期のビジョン策定が望まれる。