〜SHEET NOW〜

創業6年目、黒字体質で驀進
ゼロからのスタートを支えた仕事の仲間

大協金属



創業まで
岡島佳男社長岡島佳男社長
岡島社長は高校卒業後、奈良と大阪にプレスと板金工場を持つ中堅企業の板金部門に勤めていた。しかし、後継者問題で会社が頓挫してしまった。
そこで、岡島社長は府下・八尾市に戻り、仕事関連で付き合いのあったところへ顔を出し、仕事の口を探そうと活動を始めた。そのひとつ、現住所にあった大協金属という、以前から仕事でつながりのあった会社のドアを叩いた。同社は年配の夫婦2人で仕事をしている会社で、「仕事は自分で取ってくるので、設備を使わせてください。機械の利用料、家 賃と電気代も応分の負担をします」といって仕事をさせてもらうようになった。

保証協会の支援を受けて
EMと、その脇のタッピングマシンの2台を掛け持ちして操作する神戸さんEMと、その脇のタッピングマシンの2台を掛け持ちして操作する神戸さん
岡島社長は以前のツテをたよりに積極的に営業に周り、仕事を受注するようになった。
「名刺をつくり、あらゆるところへ営業に歩きました。取ってきた仕事を、機械の空いた時間にこなし、工場の経営者夫婦にも助けてもらって完成させ、納品・売上回収と、初めてのことばかりでした」。
やがて、工場経営者から「自分たちは65歳で事業を辞めようと思うが、工場設備を引き取って後をやってみないか」と相談を持ちかけられ、そのまま居抜きで買い取ってほしいと依頼された。岡島社長も以前から「いつかは一国一城の主」の夢を抱いたので、その話は魅力的だった。しかし、資金のアテはない。その旨を伝えると「あと半年あるから考えてみて」とのことで、資金の工面が始まった。
年が若く信用がないので、銀行からは融資が受けられない。その代わり、信用保証協会※1があるという話 を聞いた。しかも、地元の銀行が新規に事業を起こすヒトの支援をする「スタートアップ資金融資制度※2」を知り、事業計画書や収支見通し、資金計画など、創業に必要な各種書類を準備して保証協会に申請した。

「大協金属」をそのまま活かす
ベンダーを多台持ちする四宮さんベンダーを多台持ちする四宮さん
保証協会の調査員が現地調査にやってきて設備類を審査、パンチングマシンPEGA-244やベンディングマシン、プレス・セットプレスの購入資金と貸工場の敷金など1,000万円以上の創業資金と当座の運転資金などを借り受けることができた。
いよいよ、自分の夢が実現する。「さて、社名をどうしょうか」と考えた時、「大協金属」という社名をそのまま存続することを考えた。元の経営者からも社名が残ることに感謝され、従来の得意先からはそのまま継続して仕事を出してもらえることになった。そこで、以前から家族ぐるみで親交があり、板金加工の大先輩でもあり、職場でのお母さん的存在で実際に「おかあやん」と呼ぶ神戸コトミさんとの、2人きりの新しい大協金属が2005年1月からスタートした。...

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