〜モノづくりはヒトづくり〜

台湾・中国との貿易を足がかりにグローバル企業への飛躍を目指す
“コミュニケーション力”を高め技能伝承を促進

ムツミ金属工業株式会社



父親の病気で事業継承を決断
髙橋亮之社長髙橋亮之社長
「私が18歳のとき、創業社長である父(髙橋博文氏)が体調を崩し、余命3カ月との宣告でしたが、幸いそれから4年近くもってくれました」。
髙橋亮之社長は兄1人・姉2人の4人兄弟の末っ子で、奔放に育った。18歳の頃はサーフショップに勤め、持ち前の度胸の良さで店長の懐に飛び込み、いつしか店を任されるまでになっていた。父親が体調を崩してからはサーフショップと父の会社の2足のわらじで、徐々にムツミ金属工業の仕事へとシフトしていった。
「それまでも、夏休みや冬休みには、現場の作業をよく手伝っていましたし、父の名代で銀行などの会合に参加することもありました。兄はすでに大手企業に職を得ており、私の方が身も軽いし、顔も利く。迷う暇もなく、自分が後継者となることを決断しました」。

JMCで出会った仲間が心の支え
主に3.2o以下の薄板の加工に対応するパンチングマシンEM-255NT主に3.2o以下の薄板の加工に対応するパンチングマシンEM-255NT
事業継承を決断してから1年後、20歳のときに職業訓練法人アマダスクールが主催するJMC(Junior Management College)を受講した。
「JMCでは、1つひとつの講義よりも、同じ境遇・同じ業種の仲間と出会えたことが大きな収穫でした。地域も違ったので競合することもなく、お互いに腹を割って話をすることができました。特に印象に残っているのは、グループによるマネジメントゲームで、私は最年少でしたがグループのリーダーを任され、グループ内のメンバーが役割を分担して有機的に活動できるよう心を配り、優勝することができました。些細なことではありますが自信に繋がりましたし、“コミュニケーション力”による情報の伝達の大切さを楽しみながら理解することができました」。
「同期の仲間とは修了後も連絡を取り合い、特別気の合う仲間とは毎日のように電話で話をしました。相手は板金一筋の企業だったので板金サプライヤーとしての実務的なノウハウを、メーカーで商社とのパイプを持っている私は主に流通に関するノウハウを、お互いに提供し合い、助け合ってきました。右も左も分からない私にとって、腹を割って話せる相談相手は心の支えだったといっても言い過ぎではありません」。
3.2 〜 6 mmの中板を加工するFO-2412NT3.2〜6mmの中板を加工するFO-2412NT
23歳で父親が他界してからは母親である現会長の髙橋フミ氏が社長に就任、30歳になるのを待ってから母親から社長を交代した。
「父が他界してからは、恥を忍んでお客さまや同業の仲間に教えを請い、助けてもらいながら、どうにか今までやってこられました」と感謝の言葉が溢れる。...


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