〜SHEET NOW〜

全国初、工程統合マシンC1を2台導入
早くから営業の重要性を認識、新規開拓で積極展開

株式会社松三製作所



早い時期から営業を配置
垣端健吾社長垣端健吾社長
社名の由来は、現社長の父親である垣端武文会長が、経営の神様と呼ばれた松下幸之助を信奉しており、松下の“下”の字の画数が“三”であることから「松三」と名付けられた。1983年に西成区ナニワ企業団地に工場を新築移転、1994年に同所に営業部を統合し、組織の強化を図る。
同社は1業種に依存する受注形態をとらず、医療機、金銭、カード機器、船舶機器、食品機器などありとあらゆるメーカーから受注することで、事業の安定化を図ってきた。長く続いてきた事業活動において営業の重要性を高く評価している。
同社の製品は板金・メッキ・塗装・シルクまでを行い、机の上に載るサイズが中心。営業担当は同社の優れた品質・コスト・納期を御旗に、ありとあらゆるメーカーに飛び込み、粘り強く営業を展開する。「設備と会社の雰囲気を感じ取っていただき、話は9分9厘決まります」と言うように最新の設備の迫力と5Sが行き届いた工場は訴求力がある。

去年、創立30周年を迎える
資材・営業担当者のオフィスは照明にも配慮され、思索に適した空間になっている資材・営業担当者のオフィスは照明にも配慮され、思索に適した空間になっている
積極的に新規開拓していくチャレンジ精神で事業を推進してきた垣端武文会長。そこへ長男の健吾氏が23歳で入社し、その翌年、父親の進言により職業訓練法人アマダスクールのJMC(Junior ManagementCollege)を受講した。その講習会でさまざまな2代目に出会い、みんなが熱い志を持っている「板金」の世界に生きてみようと決意する。
やがて、JMCから一回り大きくなって帰ってきた健吾社長は営業を主軸とした業務に就く。JMCの教官や仲間との会話や考え方から薫陶を受け、経営者として目覚め、2004年、健吾社長33歳の時に社長を交代した。...

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