〜SHEET NOW〜

全国ネットで仕事拡大を目指す
第22回優秀板金製品技能フェア、「金賞」受賞で弾み

株式会社ナダヨシ



ステンレス加工技術で会社設立
植木次義社長植木次義社長
同社は今期で創業30期を迎えた。創業は植木社長が学校を卒業後通っていた長崎の職業訓練所の恩師の言葉が大きかった。当時の長崎は造船の街で地元にある大手造船所へ就職するのが当たり前の時代だった。植木社長の恩師は「君には大きな組織の中に組み込まれたアリのようではなく、一国一城の主となって活躍してもらいたい」と語り、この言葉を聞いて長崎ではなく福岡にあった厨房機器メーカーを選んだ。厨房機器業界は高度成長の波に乗り拡大基調・繁忙期を迎えていた。そこはアマダのコーナーシャー、ユニパンチ、アイアンワーカ、タレットパンチプレスなどのマシンがどこよりも早く導入され、植木社長はそこで仕事をしながらステンレス板金加工の技術を身につけた。

「灘吉厨房設備有限会社」の船出
植木剛彦専務植木剛彦専務
1981年、34歳の時に福岡県糟屋郡に工場を借り独立、灘吉厨房設備有限会社を創業。元の勤務先から苦楽を共にした3名の社員が行動を共にした。社名『灘吉』とは、故郷の有明海で父親が所有し、干拓に活躍した砂利運搬船の船名を会社の冠にした。
設備は溶接機くらいしかなかったが、以前の勤め先や近在から仕事を貰い、まわしていった。当時、トラックの艤装部品の道具箱は2.3oの鉄製が普通だったが、ステンレス1.2oで図面を貰って3時間で仕上げて持ち込み、驚かれたこともあった。それが喜ばれ、業界の主流となった。以後、順調に推移し1991年に現住所に新築移転、社名をナダヨシと改め、斬新さで出会いの場を広げた。
山あり谷ありの30年
「金賞」と中央職業能力開発協会会長賞を受賞した「宝箱」「金賞」と中央職業能力開発協会会長賞を受賞した「宝箱」
バブル崩壊、リーマンショックの不況を受け、従来の大手からは値下げ、値下げで叩かれ続け、ステンレスで「これだけは自信がある、できる」という仕事も客先が引き上げてしまった。下請けから脱出したい。自分たちで値段を付けられる仕事を見つけたい。もともと「ぼーっとしとらんで、ちーった動かんな」をモットーに創業したので「こんなん、できんかいな?」「こんなん、ないかいな?」という得意先からの声に応えることを喜びに奮闘する。...

つづきは本誌2010年8月号でご購読下さい。