〜板金業界の次世代を担うJMC 修了生 - 第9回〜

とび職からの転身、今や現場の“要”
マシニング・放電・レーザ加工と板金の複合加工を強化

株式会社荏原精密 中島 一さん



中島 一さん中島 一さん
10代の頃から建設現場でとびの仕事に携わってきた中島一さん。当時の親方から跡目を継いでほしいと期待されるまでに成長し、家業を継ぐ考えは一切頭になかったという。しかし、父である中島一郎社長が病床に伏したのをきっかけに一念発起、「助けになりたい」と同社への入社を決断した。
「やるからには手伝いだけでは終わらない。会社経営の後を継ぐつもりで入社しました」と一さんは語る。

2004年に導入したパンチングマシンEM-255NT(マニプレーター付き)2004年に導入したパンチングマシンEM-255NT(マニプレーター付き)
JMC同期生との交流が刺激に
5年前の2005年4月、23歳で入社。入社後は現場で曲げ工程を担当し、1年が経過した頃、中島社長から職業訓練法人アマダスクールが主催するJMC(Junior Management College)を受講するよう勧められた。
JMCを勧めた中島社長は、「現場で経験を積んでも、会社経営に関して学ぶ機会はほとんどありませんが、JMCでは板金業界の会社経営に関するあらましを学ぶことができる。さらに、事業継承者という同じ立場の人たちと共に学ぶことで、横の繋がりができます。当人は人怖じしない性格で、仕事に限らず交友関係が広い。何事に対しても貪欲なタイプで根っからの負けず嫌いですから、地域・コミュニティといった文化面、企業のハード面では建屋・設備・レイアウトなど、すべてが異なる他社の活動やビジョンに触れることで良い刺激を受けるだろうと考えました。経営者の立場になると、そういう経験ができる機会はほとんどない。私自身、2代目ですが、事業を継承する時にJMCのような場があったらと口惜しく思ったものです」と当時の心境を振り返る。

仲間との交流と意識の変化
同期生だった5人の仲間とは、今でも電話で連絡を取り合っている。特にリーマンショック以後は頻繁に情報交換をし、比較的距離が近い潟iカツー(東京都八王子市 小誌2009年9月号掲載)の加藤信之社長からは、同社の加工範囲の広さを買われて、厚板加工の仕事の依頼を受けているという。...

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