〜SHEET NOW〜

商社・メーカー機能で地域発展の要に
禅師の教え“無尽”の精神で事業を推進

(株)清水



LC-3015θU+AS-61020PCによる大板の切断加工LC-3015θU+AS-61020PCによる大板の切断加工
21歳で会社を設立
父の会社を整理し、1958年に清水社長が新会社を設立。若さゆえに迷うこともあり、そんな時に師事した禅寺住職の“無尽”という教えを経営の根幹として活かし、ニーズを掘り起こして解決するための手段をビジネスとした。
「“鉄”という字はカネを失う、と書く。しかし私は“鉄”に関わってもカネを失わないやり方で、鋼材卸の付加価値を高める設備投資を行い、川下の仕事を拡大することで、お客さまのニーズに応えてきました」。清水社長は“無尽”という言葉と出会った仕合わせと、その志をビジネスとして具現化してきた様を語る。
鳥取三洋の進出が転機
設立当初は市内の鉄工所などに鋼材を切断して納めていた。1966年に三洋電機が鳥取三洋を設立、協力工場も関西から進出してきて金型用鋼材なども取り扱うようになった。高度経済成長による建設ラッシュで鋼材、形鋼といった建材関連の切断依頼が多くなった。しかし、この業界は単純に重量で価格が決まってしまうため、高付加価値は望めない。そこで社長は川下に事業を拡大して鋼材販売の付加価値を高めることを計画、アマダのビームワーカー、バンドソーなどを導入してフラットバー、丸棒、形鋼切断も始める。鋼材切断用にシャーリングマシン、ガス溶断装置、プラズマ切断装置も導入し、90mmまでの厚板切断に対応して、得意先に喜ばれた。得意先のニーズは年々多様化し、切断後の穴あけや機械加工による仕上げ、平面から5面加工へと範囲を拡げ、山陰地方ではまだ珍しかった新日本工機の5面加工大型マシニングセンタも導入した。1970年に切断専用工場を新築、同地区では最大の能力を持つシャーリングを導入し業容を拡大した。1988年には社名を叶エ水に変更。併せてコンピュータを導入し、ソフトとマシンの融合を図っていく。隣接地に形鋼加工工場を新設、H形鋼・コラムの切断開先・穴あけなどのラインを充実させ、さらにガス溶断機NITEX-4000SFを設備して能力・精度・効率アップを図り、作業者の負担を軽減させる努力をした。
鋼材・形鋼、丸・角パイプ、アングルまで幅広い素材に対応
清水昭允社長清水昭允社長
1998年頃、形鋼の付加価値向上のためNCビームワーカーNCBW-150を導入、また角パイプ加工機をメーカーと一体になって開発した。2001年、レーザマシンFO-3015を10段パレットとともに導入し、翌年に製缶工場が完成。2003年、ネットワーク対応型ベンディングマシンHDS-2203NTと5面加工機を導入し、発注元の多様な要望にも応えられる体制を構築。2007年、レーザ工場新築、レーザマシンFO-3015NT+LST-3015FO、LC-3015θU+AS-61020PCを導入し、大型の製品に対応するとともに夜間の無人運転の布石とする。2008年、PCSAW-330を導入。現在、5,000坪の敷地にレーザ加工工場、プラズマ・ガス溶断工場など7つの工場と事務所が繋がっていて素材を投入すると半・完成品となって出る一大生産拠点となっている。...

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