〜特集「不況に負けない−がんばる板金サプライヤー」〜

鋼材切断販売から精密板金加工へ
自社製品開発、ネットワークで販路拡大




「板金加工部品の部」で金賞を受賞した「HOUSE」AP100で作成した自社製品に使用する取り付け金具の立体姿図
父親の会社に入る
同社は佐々木社長の父親である佐々木会長が母親とともに大阪市内で鋼材販売業を始めた。しかし、時代が変わって、街中で事業をするには切断に伴う機械音や材料の置き場にも困るようになり、1972年に大阪府八尾市の現在地に移転、鋼材切断と販売の事業を行うようになった。
佐々木社長は、父親が鋼材の販売を生業とする姿を見ながら育ち、後を継ぐべく18歳で同社に入社、夕方からは夜間大学に通いはじめ、希望いっぱいのスタートを切った。しかし、卒業を待たずに2足の草鞋を脱ぎ捨てて、この業界に入っていった。
「いくら家業としての仕事を見てきていたとはいえ、父親と同じようにはいきません。顔の広さもちがいますし、業界に対しての発言力など比べものになりません。しかし、得意先に納品に出かけた時に、その会社の困っていることに対して、若輩ながら私でもできることはないだろうか、何か手助けができるのではないだろうか、と考えるようになりました」。突然の環境の変化。18歳で父親の下働きからはじめ、20歳で本格的に仕事としての鋼材販売を考えるようになっていった。お客さまが要望される鋼種・板厚・寸法に対応して鋼材を切断して納品する仕事を繰り返し、いろいろな工場へ出入りするうちに、加工での仕事の流れを理解するようになり、それから自分のネットワークを使えばいろいろできるようになるのではないか、と考えるようになった。
池田則正社長(中央)を囲んで大関さん(左)と皆川工場長(右)佐々木一智社長
ネットワークを拡大・活用
佐々木社長が25歳になった時、勧められて守口青年会議所に入会し、活動をするようになった。異業種交流会などにも参加し、こうした活動を通じて金属加工に関わる様々な企業経営者と知り合った。守口、八尾などは大手家電メーカーのお膝元で、いろいろな試作板金加工を手がけている工場が多くある。試作板金工場は製作す...

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