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設計部門の充実が課題
異業種からの参入、2年半で黒字体質




代表取締役中塚政則社長代表取締役中塚政則社長
 「最近の社名は、その会社の仕事をイメージさせるものは少なくなってきた」と、創業当時の社名を現在も踏襲。精密板金加工、製缶・溶接・機械組立を主としている同社のスタートは昭和48年4月。中塚社長は学校卒業後、地元の大手高炉メーカーの保守工事の会社に勤務、しかし、その高炉も火が消えるといわれるようになった。そこで一念発起、自らが独立して70〜80人の社員の食い扶持を探すことになった。幸い高炉の火は消えることはなかったが、事業は縮小。そこで、中塚社長は昭和60年に精密板金加工に業種転換を図った。
 「当時は、全く未知のジャンルでした。しかし、仲間の生活を守る意味からも仕事を見つけなければならず、伝を頼って仕事を探しますが、最初から技術がないことは明白だったため、設備だけはピカいちのマシンを導入しようと、それぞれの単体で1番のメーカーのタレパンやベンダー、シャーなどを検討していました」と語り始める。

アマダとの出会い
 「業種転換当初、それぞれの設備は、種々のメーカーを取り扱っている代理店と契約寸前までいっていましたが、故障した時に、サービス・メンテ面で混乱するのでは、と思いアマダさんにあたりを付けました。しかし、当時のアマダの担当者も、全くの新規参入者に、板金加工のすべての設備を、と言われても、なかなか本気にしてもらえませんでした」。
 板金業界でも溶鉱炉の保守工事、メンテナンス業からの参入は珍しい。その転換について、「企業を継続して発展させていくことが経営者に課せられた義務。そのため、経営の多角化を図り、メンテナンス業から製造業を考えた時に板金業界への進出を思い立ちました。まだ本業の保守業に余裕のある時に転換しようと手を打ってきました」。
 板金加工業を選んだ主な理由として中塚社長が挙げているのが機械化、ロボット化などによる自動化が可能な分野であるということ。モノづくりに未経験な同社が参入するためには“人”に依存するモノづくりから機械、設備力を主体としたモノづくりを進める、という観点で板金加工に決めた。そして、仮契約を覆し高いペナルティを払って、アマダからパンチプレスARIES-245、SP-30U、ベンディングマシンRG-100、シャーリングマシンNS-2532、この他にアイアンワーカーIW-45、厚板用コーナーシャーCSHW-220などの機械と自動プログラミング装置AMACOM-1200を導入した。...

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