〜特集:「LC-F1NTの加工例拡大」〜

昇降機、画像診断装置関連から受注
ワン・プッシュ・ゴーで生産性が3倍―LC-2412F1NT

(株)齋藤機械製作所



齋藤浩吉社長齋藤浩吉社長
 昇降機、画像診断装置などを製造する大手メーカーとの取引で順調に事業を拡大している同社は先代社長齋藤邦武氏によって昭和32年に東京都大田区今泉で創業された。当時はスーパーマーケットなどでレジスターの需要が急増、そのレジスター(金銭登録機)のプレス板金を手がけた。33年には株式会社齋藤機械製作所として法人改組。そうこうするうちに自動車用ラジオアンテナの組み立ての仕事が入ってきた。34年には安方工場を拡張、自動車用ワイパーブレードおよび、鉄道信号機器の仕事も受注。それらの仕事を手がけるうちに社内に技術も蓄積され、自社開発したZ式電気溶接棒安全ホルダーを製造、やがて販売を開始、晴海の展示会に出展するなど、開発・設計、製造能力を備えた企業として評価を高めていった。

昇降機関連との取引
ブランクから曲げまでがオールインワンのソフトでリンクされ、段取り時間を削減できるブランクから曲げまでがオールインワンのソフトでリンクされ、段取り時間を削減できる
 昭和45年に府中にあった大手電機メーカーの昇降機事業部からエレベーター用部品の扉のスイッチ部分を受注。スイッチといってもトビラの開閉を確認して昇降することが求められるため、異種の素材を接合して組み合わせたりするので、複雑で精度も要求されるものであった。SS3.2mm材を成形、同社では扱っていない鋳物部品は社外調達し社内でアセンブリして納める体制を確立していった。同社では創業当初から引き物や、抜き、曲げだけの仕事という仕方ではなく、組み立てしてサブアッシー製品として付加価値をつける仕事の受注を踏襲してきた。

京浜島に本社工場を移転
 昭和50年に東京湾を埋め立て、造成された京浜島工業団地が完成、同社は52年にその一角に移転した。それにより生産拠点は本社工場、矢口工場(マシニングセンターやNC旋盤などの機械加工工場)、川崎工場(昇降機制御盤スタックの専用工場)の3カ所となった。取引先は昇降機と同じ頃に取引が開始された同じ電機メーカーのメディカル事業部門から発注されるレントゲンのフィルムケースなど画像診断装置の製品加工が大半を占める。製作するのはエレベーターが昇降する際に振動を防止する振動防止用のローラーガイド。...

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