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板金にシフトして大正解
「デジタル稼働日報」が進捗を正しく管理してくれる




会社が思いがけず大化け
LCシリーズのデジタル稼働日報ー日別稼働推移(前面の表)LCシリーズのデジタル稼働日報ー日別稼働推移(前面の表)
 昭和36年に先代社長が小田原市内で、プレス加工業として有限会社東海板金を設立、昭和56年に秦野市へ移転、平成18年に現在地へ移った。
 「昭和45年に東洋ラジエーター(株)殿(現在の株式会社ティラド)と取引を開始したころから、現在のトーカイ工業の歴史が始まったといっても過言ではない」、と話し出す太田社長。
 「昭和50年4月に私が代表取締役に就任した頃は、まだプレス加工が主体でした。会社経営を成功させる大志は持っていましたが、現在のような会社に成長するとは夢にも思っていませんでした」と、ここまで大きくなるとは予想していなかった、と語る。会社を経営していくうちに、社長が考えるようになったのが省人化による生産の合理化。特に受注から出荷までを見た時に、ロボット化を進めなければならないのは、最後工程の溶接組立だと考え、最初の自動化は溶接ロボットの導入だった。

溶接工程の自動化
「多くの国内外のプレスの方が取材に見えます」と太田社長「多くの国内外のプレスの方が取材に見えます」と太田社長
 溶接をロボット化するためには前加工の精度や繰り返し精度を向上させなければ自動化はおぼつかない。前工程については、アマダが伊勢原市内にあり、いろいろと相談に乗ってもらったり、提案を受けていたので安心もあり、また、困った時にはアウトソーシングという手も考えていた。溶接の前工程の抜き・切断・曲げに関しては、その時々の最新の機械を使えば他所と同じモノができると思うが、溶接だけは1人ひとりの、手に技術を持った職人が組立完成させて出荷していた。溶接の前で滞りがちな状態が、前の工程を先に合理化すれば必ず溶接の前での滞留が激しくなる。その部分を何とかしなければいけないと考え、そこで20数年前に大手の溶接機メーカーに相談したら同社の要求に応えてくれ、その後、改善を重ね、現状の合理的な溶接工場ができ上がっている。...

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