〜SHEET NOW〜

ターニングポイントはHMX、EMの導入
年商十億円の壁を越えるために




大手上場企業と取引
田中忠幸社長と田中繁次会長田中忠幸社長と田中繁次会長
 ノーリツ鋼機、堀場製作所、島津製作所など関西を代表する大手メーカーから仕事を受注する同社は昭和54年、田中繁次会長が37歳の時に独立を決意、東大阪市内に貸工場を借りて溶接業からスタートした。資金を溜めて59年に西石切町へ移転、アマダのコーナーシャー、ベンディングマシン、セットプレスを購入して曲げ加工までを取り込むようになった。60年に高校を卒業した子息である現社長が入社。63年に法人化、その記念としてPEGA-344を導入した。当時の年商は3千5百万円でアマダのパンチングマシンは5,000万円。銀行がびっくりしたが地元信用金庫のバックアップを受け、導入することができた。このPEGA-344は抜群の稼働率向上をみせ、7名の社員は無我夢中で働いた。平成5年には石切町に第二工場建設、特に平成6年にノーリツ精機と取引を開始してからは取引先も増え、平成10年に現住所に本社工場を建設し移転した。

新本社・工場が竣工
金型変換不要シングルヘッドパンチプレスHMX-3510NT金型変換不要シングルヘッドパンチプレスHMX-3510NT
 土地と工場建屋に2億円、機械設備に5億円を投資した本社工場は平成10年に竣工した。その当時の売上は3億5千万円。借入金が7億円。信用金庫の担当者に「キャッシュフローってご存知ですか」と問われたという笑い話がある。「コストは後回しにして、お客さまの要求にお応えしてきました。お客さまの要求を満足することができればコストは後からついてくる。平成14年の中ごろから島津製作所の仕事をさせていただくようになってからは受注も堅調に伸び、15年には過去最高の年商5億円という大台に到達、16年には7億円を記録しました」と田中会長。...

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