〜SHEET NOW〜

工場をスタジオ、製品は作品と位置づけ
技術をカバーする精鋭マシンを使いこなし業績を伸張



スタートは仲買業者として
西村康社長(右)と櫛谷知広専務西村康社長(右)と櫛谷知広専務
 創業のきっかけは西村社長がサラリーマンをしていた頃に群馬県の大手自販機メーカー、サンデンの工場長と出会ったこと。当時、サンデンはアメリカ向けに大量のスロットルマシンを受注、月に何千台という量産を行うようになっていた。スロットルマシンは殆どのパーツが板金製。協力会社へ発注して作ってもらっていたが、ステンレス材料仕入れ価格が合わない。そこで工場長から「西村さんのところは新潟だから、燕三条辺りにステンレスのプレス板金を安くやってくれる会社を知らないか」と相談を受けた。早速、図面を 預かり協力工場探しに出かけた。当時はすでに燕三条周辺の地場産業は従来の洋食器製造では立ち行かなく なって喘いでいた。旧知のプレス加工企業に見積りを出してもらい工場長に提出すると、「これは安い。すぐにやって欲しい仕事が相当量あるんだが、西村さんが間に入ってくれないか?。場合によっては西村さん名義で取引口座を開設するから後々はプレス加工でもやったらどうか」と誘われた。社長は工場長が喜んでくれた事が嬉しい反面、プレス板金加工には全くの素人。不安を感じながらも仲買会社としてこの世界に入って行った。

順調なスタート
NTベンダーHDS-5020NT、FBDV -1025NT。後ろの壁にも“壁画”が描かれているNTベンダーHDS-5020NT、FBDV -1025NT。後ろの壁にも“壁画”が描かれている
 最初の頃は順調に仕事を廻していたが4〜5年経ち、今ひとつの脱皮を考えた。サンデンのような県外の仕事を取ってきて新潟県を潤わせることが出来ないだろうか、と考え、県外の大手企業を片っ端から営業し て歩いた。しかし、技術も設備も無い一匹狼を相手にしてくれる会社はなく、この計画は見事に挫折をして しまった。
 「設備を持たない仲買業者では大手企業は相手にしてくれない。それならば自前で設備して工場を開設しよう」と思い立ち、新潟市卯八郎の自宅の軒先にプレスと中古のシャーリングを導入、西村社長自身がプレ スを踏むようになったのが平成5年。今の櫛谷専務が入ってきたのもその頃だった。...

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