〜視点〜

FABTECH International & AWS Welding Show から学ぶこと

 11月11日から14日まで米国・シカゴにあるマコーミック・プレイス南、北館を使ってFABTECH International & AWS Welding Show が開催(詳細は本誌World Trend を参照)された。1993年、当時はシカゴ・オヘア国際空港近くのRosemont にあったコンベンションセンターが会場であった。筆者は2年ごとの奇数年にシカゴで開催される同ショーには欠かさずに訪問すると共に、2000年には遇数年にクリーブランドで開催されたFabtechにも参加、延べ9回に亘って取材してきた。見て感じたことは主催者であるFMA(Fabricators & Manufacturers Association;全米板金加工業者協会)と、それを取り巻く米国板金事情の構造変革。ウイスコンシン州ロックフォードに本部を置くFMAは個人会員の集まりでメキシコ、カナダ含む北米で板金、製缶、鋼機事業を行う企業が加盟する唯一の業界団体である。92年にロックフォードの本部を訪ねた時は雑居ビルの1、2階部分を借りて活動を行っていた。ところが翌年訪れた時にはロックフォード市郊外に自前の本部ビルを建設、勢いが目に見えるようであった。当時、事務局スタッフには協会事務から出版、事業関係を含めて60名ほどがいた。協会は若年世代への奨学金制度を創設してエンジニア養成を行ったり、セミナー、講習会、展示会など各種事業を精力的に展開するようになっていた。特にFABTECHショーの開催は 協会の重要な収入源であり、こうした実績からFMAの常任会長は全米製造系各種協会の連合組織の会長を兼務するなど業界内でも力を備えていた。ところが、ITバブルが崩壊した2000年以降になって米国の板金業界で大きな構造変化が起こった。仕事が中国そしてメキシコなどへ移転する中で、FMAの事務局でもスタッフの世代交代が進み、2001年からFABTECHはAWS(American Welding Society アメリカ溶接協会)、SME(Society of Manufacturing Engineers全米製造技術者協会)との共催となった。それと共に、常任会長にはSME出身者が就任した。それを契機に板金、製缶、鋼機の見本市に加えて溶接見本市の色彩が強くなり、出展者数だけを見ると溶接関連企業の数の方が上回るようになった。今回も南館の主要な場所は板金、レーザ加工に関連する関係企業が出展していたが、それを除く半数以上が溶接関係で占められるようになった。元々、日本のような薄板精密板金加工は米国においてはシリコンバレーと呼ばれたサンノゼ周辺では発展したが、ITバブル崩壊後はそうした仕事も中国やメキシコに生産が移転していった。そして、シカゴをはじめとした中西部から、サンベルトと呼ばれる南部を中心とする建機、農機具、住宅関連産業向けの中・厚板の製缶板金加工が中心を占めるようになった。従来、米国ではロットサイズが3桁という製品も珍しくなかった。多民族国家のため英語が話せないマイノリティーを雑役工として安いチャージで採用、人間マニピュレータとして3交代で単純作業に雇用することで労務費を下げてきた経緯もある。データを作成するエンジニア、プログラマという「考える集団」とマニュアル化された単純作業を繰り返す「使う集団」とに生産を分業する仕組みが構築されていった。こうした環境では無人化、省人化は進まず、単体機中心のモノづくりが長く続けられてきた要因がある。しかし、2001年以降はセル、システムの出展が増え、ロボット化なども進んでいった。そして2003年、05年、そして07年と回を重ねて出展者、来場者数も増加するようになった。
 FABTECHを通して我々はアメリカ板金事情を知り、これからの板金業界のトレンドを把握しなければならない。