〜SHEET NOW〜

間違いのないモノづくりを
最小コストで完成させる仕組みを構築

有限会社 吉見鈑金製作所



同社は昭和54年に吉見昌弘社長によって創業された。63年に自社工場を建設、翌年には有限会社として法人化、設備も板金全工程分を導入した。
 主要な得意先は30社。主力の得意先である工作機械メーカーから機械カバー、制御盤メーカーからは筐体加工などの仕事を受注している。主要材料はSPCCやボンデ鋼板などの薄板が主であるが、近年では6.0、9.0oという中・厚板の仕事も増えてきており、受注に占める新規品、リピート品の割合は7対3となっている。吉見昌高専務が入社してからは、最新式の設備と管理手法で工場をIT化、間違いのないモノづくりを最小のコストで完成させる仕組みを構築してきた。若い昌高専務が入社時に感じた、他社より遅れているといった現実と、それらをなんとかしないといけない、という先を見据えたグローバルな感覚で会社をリードしている姿を紹介する。

ベンドコーナー、手前がHDS-8025NT
ベンドコーナー、手前がHDS-8025NT

入社時に感じた格差
 「私の板金人生は、以前勤務していた会社を辞め、平成5年に親の会社を継ぐ決意をした時から始まりました。現在は私の板金人生の6ステップ目に当たると思っています。社長(父親)が28年前に独立した時は、母親と2人でのスタートでした。その頃、私は7歳の小学生でしたが、二親とも頭の先から爪先まで、まっ黒になって働いていたことを覚えています。やがて中古のベンダーやシャーリングなどが設備され、従業員も1人、2人と増えていきました。会社の体裁が整えられたのは私が16歳の頃と覚えています。その後、私は高校を卒業して地元の会社に就職をしました。社会人となって2、3年過ぎ、改めて父親の会社を外から見てみると、従業員も10人程に増え、父親が一端の経営者らしく指揮している姿が目に留まりました。初めて経営者としての父親が逞しく思えました。苦労を知っているだけに、ここまで頑張った父親や、信頼してついて来ている従業員の将来を考えた 時、父親の代で終わらせる訳にはいかないのではないか、と考えるようになりました」。...

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