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株式会社アールテック・リジョウ



リジョウ日記
リジョウ日記

 創業は昭和24年に現代表取締役の石本氏の父親、石本和吉氏が電気自動捲時報時計の製造をはじめたのが始まり。当事は戦後の混乱期、焼け焦げた古道具を使っていたが、その画期的な商品が時代のニーズに合致、受注が拡大した。昭和32年には生産設備の拡充及び組織改革に伴い、株式会社鯉城時計製作所を設立、社名の鯉城とは、近くの姫路城が白鷺城と呼ばれているのに対して広島城がその昔から鯉城と呼ばれていたことからで、罹災した郷土を愛する心から鯉城時計と名づけた。昭和40年には板金設備としてシャーとプレスブレーキの1号機を、53年にはNCタレットパンチプレスPEGA-344を導入し正確で精度の
よいモノづくりを目指していく。

一番最初の「あ」
 その後社名変更を行い(株)アールテック・リジョウと改め現在に至っている。この社名命名にも曰くがある。「鯉城時計の「リジョウ」とした場合、例えば何かの名簿を作成する場合、又は電話帳に載った場合どうしても「あいうえお」順となり、リジョウの「り」ではずっとずっと後ろになってしまう。何とか「あいうえお」順で最初の方に載って目立つことができないか、と考え「リジョウ」の前に「リジョウ」の頭文字「R」、いわゆる「アール」を先頭に持ってくればどんな時にも一番先頭に乗せてもらえて宣伝効果が高いと「アールテック・リジョウ」と命名しました」、と創業から印象的な社名命名までを石本邦雄常務は語る。
 これまでに、多くの分野と異業種交流して、製品を開発・販売というルートに乗せた実績を持つ石本常務。昭和60年には県内の同業者に呼びかけ、当初16社で広島板金工業会を結成、初代の会長として製造業者の意識の改革と受注を活性化させる目的で異業種交流やジョブマッチングなどを推奨してきた。1人では発言力も弱い。しかし、組織として多勢の言葉には力を持つ。会長就任時代は同業者の1人ひとりを訪問し、会への参加を呼びかけてきた功労者。 ...

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