〜SHEET NOW〜

検査結果を形状で残す仕組みにトライ
航空機座席部品・OA機器筐体・原子力発電所保温関連の3本柱は健在

戸塚金属工業株式会社


創業まで
菅原茂常務、追立俊朗社長、製造2課大村友栄さん  同社は先代社長が1962年に横浜市戸塚区で研磨を主とする個人会社を設立、やがて大手スチール家具メーカーとの取引が開始される。そこへ結婚を機に入社したのが現社長の追立氏。「18年間、東芝総合研究所に勤務した私にとって この転職は驚きの連続でした。内側に入って製造現場を見回すと、私たちの常識から20〜30年遅れていると、率直に感じました。私は図面に関しては何とか読めますが、板金図面というと展開能力がないと難しい。また、発注元の図面の引き方もバラバラで統一されてなく、モノを製造するのに「製造指示書」もなければつくるための「製造手順書」もない。まして今までつくったモノの「データ」もバラバラでファイルされておらず、生産管理も生産技術も低レベルという状態でした。究極は働いている人たちが「3Kの代表」のように汗と油にまみれて奮闘している姿でした。今までモノづくりのルールに則ってやってきた自分には驚きと共に「これは何とかしなければ」という気持ちで、パソコン「ロータス123」を持ちこみ「受注と出荷と売上」を管理しようと考え生産管理のスタートを切りました」。追立社長は入社当時を振り返る。

先代社長の夢、故郷に錦
曲げ工程  バブルが崩壊、9割依存していた大手スチール家具メーカーが地方へ統廃合され下請けの洗い直しをするという。当然、地元企業に仕事が回されてしまうだろうと危機感を覚え、1社依存から脱却すべく営業にも力を入れるようになっていく。先代社長は新潟出身。横浜市戸塚で仕事をしながら、いつかは故郷で、の夢があり1988年に現在地を購入し新潟工場として操業した。しかし、横浜と新潟と、分散していることの不都合を解消するために、戸塚区の本社工場を閉鎖し、従来の新工場を本社として機能させ、業務を集約して、一気通関の生産体制を構築した。新潟工場立ち上げ時に請われ、都心を離れて参加したのが義弟である菅原常務。 ...

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