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データの一元化へ近づくマシン導入
「第18回優秀板金製品技能フェア」で厚生労働大臣賞・金賞受賞

株式会社ミワインテック 



 繊維機械部品、刺繍ミシン部品、工作機械、コンピュータ部品や各種機器類のカバーを製作するミワインテックの三輪慎一郎社長が長男、ミワレーザーの三輪智之社長が次男と兄弟でそれぞれ独立した企業を経営する。

村田機械の協力会社として
取締役会長 三輪公成 代表取締役 三輪慎一郎  ミワインテックは三輪公成会長が金属プレス加工業として1963 年に三輪工業所を創業、翌年の9月に三輪工業株式会社として法人化した。事業内容は工作機械メーカー大手の村田機械鰍フ繊維機械等のプレス加工部品の仕事を中心にスタートした。1988 年に村田機械製のNC タレットパンチプレス1 号機を導入、人手による作業なら四角の窓をあけるにも四方にホールソーで穴を開けてバイブルシャーで切っていくという作業だったが、タレパンを導入するとプログラムさえ組めれば簡単に加工できるという機械だった。しかし、1 号機であるだけに、いくつかの課題を抱えていた。そこで村田機械の担当者と一緒に仕様の見直しから、いくつかあった不具合を協力して潰しながら完成度を上げていった。すでにその当時にはアマダにもNC タレットパンチプレスがあったが、同社は村田機械との取引が主体であっただけに、他の機械メーカーの機械に関しては全く知らなかったという。その後は、村田機械のタレパンの性能も向上する中で2 台目、3 台目と増設していった。結果、同社の仕事もプレス加工から付加価値の高い板金加工へと変わっていき、やがてプレスと板金の仕事の割合が逆転していくようになった。

レーザ加工機との出会い
第18回精密板金製品技能フェアで金賞・厚生労働大臣賞 帽子用刺繍セットフレーム   同社が次に転機を迎えたのは1986 年の4月、レーザ加工機と出会ったこと。村田機械の板金協力会の会長職を務めていた関係で、村田機械から社員の受け入れを依頼された。その社員が村田機械に在籍中にレーザ加工機を担当していたことから、社員と一緒に三菱電機のレーザ加工機も一緒に引き受けることになった。本当は三輪工業に入社するということだったが、発注元と協力会社という関係では入社する社員がやりにくいのではないか、と考えて急遽、新会社「ミワレーザー」を設立、三菱電機の古いレーザ加工機を ...

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